今日はゆっくり街歩きの日。Airbnbからタクシーでオリーブ山へ。

以前、神殿が建っていたところに今はイスラムのモスクが建っている(金色の屋根)。下は、第二神殿時代のエルサレムの模型(イスラエル博物館)。

指が入っておりました。。
神殿部分の拡大図。

キリストはオリーブ山を何度も通って、ベタニヤとエルサレムとを往復した。小さな山を越えるわけで上り下りはあるけれど、距離にすれば3.2キロ。べタニアには、キリストの愛したマリア、マルタ、ラザロが住んでいた。ベタニヤは今ではパレスチナにあり、街の名前もアラビア語でal-Eizariyaという。イスラエル人はエルサレムからベタニヤには入れないし、パレスチナ人はベタニヤからエルサレムには入れない。旅行者は自由に移動できるが直線でつなぐ道がないので、歩くと1時間49分かかる。もし今の時代にキリストがベツレヘム(パレスチナ)で生まれていたら、キリストはパレスチナ人で、チェックポイントでひっかかり決してエルサレムには入れてもらえなかったし、ましてやベタニヤに住む家族とは交流することもできなかっただろうなあ。

オリーブ山で「Tombs of Prophets(預言者の墓)」という看板を見つけ、いったいどの預言者だろう・・と思いながら入ってみた。

墓守のおじさんに、「これは料金あるんですか?」と聞いたら、「10シュケル(3ドル)」という。ほかに旅行者の影はない。あんまり観光スポットではないもよう。
なんと、中は大変広く、いくつもの墓がある。2500年前にさかのぼるそうで、なんと旧約聖書の最後のほうの預言者、ゼカリヤ、ハガイ、マラキの墓があるという。ゼカリヤだけは墓穴の上に名前が記されており、ハガイとマラキにについては遺体と一緒に埋葬される本人にまつわる遺留品から認識されたという。
ゼカリヤの墓
この墓を守っているのはこの方。ジャミールさんというおじさんで、父はユダヤ人、母はアラブ人。聖書もコーランも読んで育ったが、今はキリストをメシアと信じているという。

ジャミールさんが親切に墓の洞窟の中を案内してくれ、最後には好きだけ祈っていいよと時間を与えてくれた。ジャミールさんは、みんな神の子であるのに、自分の思いでいろんな宗教や、またその宗教の中のいろんな派閥に分けれて、相手を憎み合っている状態は本当に悲しいことだと言っていた。神はひとつ、私たちはみな神の子である。憎しみは人間の心の中から来るもので、人間の心の中の罪を解決しない限りほんとうの平和はこない。今は悲しい時代だが、心を神にゆだねて従えば、平和は必ずやってくる・・と言っていた。その日、メシアなるキリストが帰ってくる日、オリーブ山にキリストは立ち、神に立ち返るすべての人(ユダヤ人もアラブ人もだれでも)をエルサレムに集められる。その日をゼカリヤもハガイもマラキもここで待っていて、その日には彼らの骨が集められ神が息を吹き込まれると・・・。

その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。

ゼカリヤ14:4

神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。

わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。

エゼキエル37:5-6

この預言者の墓、エルサレムに行かれたらぜひどうそ