So you will be my people, and I will be your God. (Jeremiah 30:22)

月: 2022年6月

ガリラヤ

今日はガリラヤ地方に行った。メギドの丘を通り、ナザレ(キリストの育った街)、カナ(結婚式でキリストが水をワインに変えたところ)、マグダラ(マグダラのマリアの家)、ガリラヤ湖、タブガ(五つのパンと二つの魚、山上の垂訓)、カペナウム(12弟子のうちペテロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブ、マタイの出身地)、ヨルダン川のルート。このツアーは何となく予想はしていたのだけど、一番表面的というか商業的というかでいまいちだった。すべて聖書にちなんだ場所だけど、つっこみが足りず単なる観光というかんじ。

メギドの丘(ハルマゲドン)。すごく小さな丘。
ナザレの街。現在ではアラブ人の街になっている。70%はイスラム教徒、30%がキリスト教徒。街を歩いている女性は、ヒジャブ(イスラム女性のかぶりもの)をしている人がほとんど。
1世紀カペナウムの街。右側がビザンチン教会の建物で、この教会はペテロの住んでいたとされる家の遺跡の上に立っている。向こうに見えるのがガリラヤ湖。
ガリラヤ湖

このツアーのガイドはダンというアメリカからアリア―(イスラエルに帰還)したユダヤ人。このツアーは行き先がすべてキリストに関係している場所なので、参加者はほぼ全員クリスチャン。ダンは、キリスト教の歴史を語ったりや新約聖書からの聖書箇所を読んだりするので、ユダヤ人だけどキリスト教に対して反感はもっていないように思い、ちょっと質問してみた(ユダヤ人にキリスト教に関係する話をするのは案外気をつかうもの)。ちょうどナザレを訪れていた時だったので、「ダビデの家系からイスラエルの王が出ることを知っていてしかも自分はダビデの末裔でないことを知っていたヘロデ大王の家系が、もともとベツレヘムにいたダビデの家系の子孫から真のイスラエルの王(キリスト)が出ることを恐れ迫害を与えていたため、地元ベツレヘムを離れナザレに集団移住したときいたことがありますが、そうなんですか?」と聞いてみた。そしたら、案外すごい剣幕で、「もともとキリストが実在したいたという証拠などない。だからそんな話は根も葉もない。実在の人物かわからないのだから、ダビデの子孫などというのも根拠がない」と返ってきた。どうやら、イスラエルにとって大切な存在であるダビデと、クリスチャンが「つくりあげた」キリストとをつなげたことが逆鱗にふれたらしい。「キリスト教は実在するかどうかもわからないキリストを殺したといって、ユダヤ人を迫害して虐殺してきた」とも。だから、ダビデとキリストを一緒にするなどとんでもないということらしい。これは、ダンと私の二人だけの会話で、彼はまたグループに戻れば、新約聖書を引用しキリストの逸話を語る。私は彼をコンバートしよう(キリスト教はすぐユダヤ人をコンバートしようとする・・というのが、ユダヤ人側のイメージらしい)としているわけではなく、ただ同じ旧約聖書を読むもの(この「旧約」ということばもユダヤ人によく怒られる。へブルバイブル(クリスチャンの呼ぶところの旧約聖書)が「古い」わけではない!というクレーム。ごもっともです。決して古いわけではありません、新約の前にあるだけのことで)として、聖書を味わう会話がしたいだけなのだが、なかなかうまくいかない。

5つのパンと2つの魚のタプガという丘に来たとき、ヘブル語についての質問なら問題ないだろうと思って、「ヘブル語で魚ということばはmultiply(増え広がる)ことを意味しているという聞いたことがありますが・・」と聞いてみたら、それもいけなかった!ダンにとっては、ヘブル語はユダヤ人のもの、魚はキリスト教のシンボルであり、一緒にするな・・という感じらしい。「魚ということばはダガーということばで、multiplyというような意味はない!」と言い切る。なんとか単にヘブル語やイスラエルの文化に興味を持っていることだけのベースで会話がしたいと思って、Blue Letter BibleのAppで「魚(ダガー)」の語源(ダガーという動詞)をしらべてみてたら出てきた。「ほら、Multiply(増え広がる)という意味があるみたいですよ。しかも、これはクリスチャンのことではなくて、創世記48:16に使われていて、神様がイスラエルの民に増え広がれと言っているところですよ」と言ってみたけど、「そんなことは今までしらなかった」と言い捨ててどこかに行ってしまった。ユダヤ教とキリスト教に橋をかけるのは大変むずかしい。

すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください。私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、彼らのうちにとなえ続けられますように。また彼らが地のまなかで、豊かにふえます(ダガー)ように。

創世記448:16

ユダヤ人とクリスチャンをつなげられるのを嫌がっているのがわかるのだけど、その割にはみんなの前でガイドをするときには「キリストはそもそもユダヤ人だった」とか「キリストは律法を全うしにきたのであって廃棄しに来たのではない」とか「キリスト教のバプテスマはそもそもはユダヤ教のミクバ(清めの水浴び)から来た」と説明する。たぶん、クリスチャン側からあれこれ言ってほしくないけど、でもユダヤを全く無視してキリスト教を語るクリスチャンには「ものいいをつけたい」という思いがあるのかなと思った。彼はだからこそクリスチャン相手にガイドという仕事をしているのかもしれない。限られた個人的会話の中で、キリスト教のユダヤ人に対する過去の迫害、ユダヤ文化や律法を無視した聖書の読み方などに彼の中に憤りがあるように感じた。私たち教会は、過去にクリスチャンがユダヤ人にしたことを悔い改め、神の言葉においてユダヤ人を軽視しているところを悔い改め、近づかなければいけないように感じた。

最期に停まったバプテスマサイト。本来、バプテスマのヨハネがキリストに洗礼をさずけたところはジェリコの近くのヨルダン川なのだが、なにせその場所は今ではパレスチナ側。以前イスラエル側にあったヨルダン川のバプテスマサイトは、ヨルダン川の水量が減って川幅が小さくなり、ヨルダン川からイスラエルへ「テロリスト(ユダヤ人がアラブの人のことを言うときによく使う表現)」が入ってくるといけないので閉鎖したとか。そこで観光用に、人工的な川を引いてきて「ヨルダン川」としているのがここ。

「ヨルダン川」のバプテスマ

ユダヤ人ダンは、クリスチャンが本当のバプテスマの起源や意味など知らないで観光がてらバプテスマを受ける・・というのにいくばくかの反感をいだいているのかもしれない。その説明の仕方やおみやげやの案内などで、あまりに商業的なのでちょっと興味がそがれて娘とアイスクリームを食べていたら、一緒のツアーでオランダから来ていたヘニーが話しかけてきた。同じように感じていたらしい。ヘニーが「一緒に祈ろう」という。同胞世界のクリスチャンのため、ここで今バプテスマを受けている人のため、キリスト教会の一致のため、イスラエルとパレスチナの和解のため、ガイドのダンのため、ユダヤ人とキリスト教会の和解のため、世界のいやしと平和のためにそこで一緒に祈り、聖霊の導きに感動を覚えた。

ツアーが終わってテルアビブに帰ってきてからも、聖霊の導き(? だとおもう。私たちがバスを降りるべきスポットを見過ごしたので、降りるのがヘニーと一緒になった)で、カフェで1時間半くらいいろいろ話し込む。今までの自分たちの歩みやこれからの主にあってのパッションのことなど。イスラエル最後の夜まで神様は祝福を増し加えてくださった。

ヘニーと話をしている間に3人くらいホームレスらしき人がテーブルにやってきた。なけなしのコインを集めてあげるのだけど、ヘニーは都度「What is your name?」と話しかける。これはすごいとおもった。私などかわいそうに思いながらも、お金だけあげてそれでおしまい・・(それ以上はかかわりたくない)という思いがあるのだと自分で思うのだけど、ヘニーは神につくらた人間としてひとりひとりを尊重して名前を聞き、向こうさえよければ素性を聞いてあげるのが大切という。見習いたいと思った。国と国のいさがいでも、ひとりひとりのレベルのことでも、その人の悲しみ、苦しさ、重荷を聞いて(たとえ何もできなくても)理解しようとつとめる・・それだけで大きな平和への一歩かもしれないと思った。

ダビデの街

今日はダビデの街(City of David)へ。ダビデがヘブロンで7年半統治をしたあと、ヨアブ率いる軍により、エブス人の街だったエルサレムを占領し建てたオリジナルの城壁街で今のエルサレムの旧市街の南側のエリア。

ダビデの街から南側を望む

その後ダビデの息子ソロモン王が第一神殿を今の神殿の丘に建てた。ところがそこからイスラエル王国は北イスラエルと南ユダ王国に分裂し、北イスラエルはアッシリアに捕囚。南ユダは13代目ヒゼキヤ王のとき、やはりセンナケリブ率いるアッシリアに攻撃される。そのとき、ヒゼキヤ王がつくったエルサレムの地下水路がある。当時、城壁の外にあるギホンの泉(水が湧くところ)から城壁の外側に水がながれていた。アッシリア軍が攻めてきて水源が外にあるのでは敵に水を与えてしまう・・というので、ギホンの泉から城壁の街の地下に水路を掘ってシロアムの池まで、水を城壁の中に流し敵に水を与えないというのが戦略。なんと地下に全長メートルの水路を掘った(のみとかなづちで!)というのがだかすごい。その水路を実際歩ける!

ヒゼキヤの水路

このヒゼキヤはまたギホンの水の上の源をふさいで、これをダビデの町の西の方にまっすぐに引き下した。このようにヒゼキヤはそのすべてのわざをなし遂げた。

第二歴代記32:30

これが功を奏してアッシリアの攻撃は防ぐも、その後20代目の王ゼデキヤのときには南ユダ王国はバビロンに攻撃され、残っていたイスラエルの民もバビロンに捕囚される。それから50年ほどたってペルシャ王国のクロス王がイスラエルの民のエルサレムへの帰還を許し、まずはヨシュアとゼルバベルにより第二神殿が復興され、エズラが神殿にトーラを戻し、その後ネヘミヤが城壁の修復にあたった。下の写真で、スロープになっている部分の上にあるちょっと色が黄色っぽくて垂直にたっているところが、ネヘミヤが修復した壁だそう。

ネヘミヤの壁

しかしわたしはついに彼らに言った、「あなたがたの見るとおり、われわれは難局にある。エルサレムは荒廃し、その門は火に焼かれた。さあ、われわれは再び世のはずかしめをうけることのないように、エルサレムの城壁を築こう」。

ネヘミヤ記2:17

オリーブ山

今日はゆっくり街歩きの日。Airbnbからタクシーでオリーブ山へ。

以前、神殿が建っていたところに今はイスラムのモスクが建っている(金色の屋根)。下は、第二神殿時代のエルサレムの模型(イスラエル博物館)。

指が入っておりました。。
神殿部分の拡大図。

キリストはオリーブ山を何度も通って、ベタニヤとエルサレムとを往復した。小さな山を越えるわけで上り下りはあるけれど、距離にすれば3.2キロ。べタニアには、キリストの愛したマリア、マルタ、ラザロが住んでいた。ベタニヤは今ではパレスチナにあり、街の名前もアラビア語でal-Eizariyaという。イスラエル人はエルサレムからベタニヤには入れないし、パレスチナ人はベタニヤからエルサレムには入れない。旅行者は自由に移動できるが直線でつなぐ道がないので、歩くと1時間49分かかる。もし今の時代にキリストがベツレヘム(パレスチナ)で生まれていたら、キリストはパレスチナ人で、チェックポイントでひっかかり決してエルサレムには入れてもらえなかったし、ましてやベタニヤに住む家族とは交流することもできなかっただろうなあ。

オリーブ山で「Tombs of Prophets(預言者の墓)」という看板を見つけ、いったいどの預言者だろう・・と思いながら入ってみた。

墓守のおじさんに、「これは料金あるんですか?」と聞いたら、「10シュケル(3ドル)」という。ほかに旅行者の影はない。あんまり観光スポットではないもよう。
なんと、中は大変広く、いくつもの墓がある。2500年前にさかのぼるそうで、なんと旧約聖書の最後のほうの預言者、ゼカリヤ、ハガイ、マラキの墓があるという。ゼカリヤだけは墓穴の上に名前が記されており、ハガイとマラキにについては遺体と一緒に埋葬される本人にまつわる遺留品から認識されたという。
ゼカリヤの墓
この墓を守っているのはこの方。ジャミールさんというおじさんで、父はユダヤ人、母はアラブ人。聖書もコーランも読んで育ったが、今はキリストをメシアと信じているという。

ジャミールさんが親切に墓の洞窟の中を案内してくれ、最後には好きだけ祈っていいよと時間を与えてくれた。ジャミールさんは、みんな神の子であるのに、自分の思いでいろんな宗教や、またその宗教の中のいろんな派閥に分けれて、相手を憎み合っている状態は本当に悲しいことだと言っていた。神はひとつ、私たちはみな神の子である。憎しみは人間の心の中から来るもので、人間の心の中の罪を解決しない限りほんとうの平和はこない。今は悲しい時代だが、心を神にゆだねて従えば、平和は必ずやってくる・・と言っていた。その日、メシアなるキリストが帰ってくる日、オリーブ山にキリストは立ち、神に立ち返るすべての人(ユダヤ人もアラブ人もだれでも)をエルサレムに集められる。その日をゼカリヤもハガイもマラキもここで待っていて、その日には彼らの骨が集められ神が息を吹き込まれると・・・。

その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。

ゼカリヤ14:4

神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。

わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。

エゼキエル37:5-6

この預言者の墓、エルサレムに行かれたらぜひどうそ

ヘブロン

Dual Narrative Hebron Tourというのに参加してみた。ユダヤ人ガイドとパレスチナ人ガイドがそれぞれの立場から語るのでDual Narrative。ヘブロンは、カナンの地に入ったアブラハムが妻サラを葬るためヒッタイト人エフロンから土地を買った場所。イスラエルの民が、初めてカナンの地を「代価を払って所有」した場所である。その後、アブラハム自身も、長男イシュマエル(アラブ人/パレスティナの先祖)と次男イサク(ユダヤ人の先祖)との二人によってここヘブロンに葬られた。また、イサクと妻リベカ、イサクの子ヤコブと妻レアも葬られている(ヤコブのもう一人の妻ラケルは、ベニヤミンを出産したときに死亡し、ベツレヘムに行く道のかたわらに葬られている(創世記48:7))。ヘブロンはまた、ダビデ王が7年半ユダヤを統治した場所でもある(IIサミュエル5:6)。

ユダヤ人からすれば、自分たちの先祖アブラハム、イサク、ヤコブ(ヤコブからイスラエルの12部族が生まれる)が葬られた場所、イスラエルが初めて土地を所有した場所であり、ヘブロンが完全にイスラエル領でないことを深く嘆いている。パレスチナ人からすれば、アブラハムは自分たちの祖先であり、イサク、ヤコブは自分たちの預言者であり、マクペラの墓が完全に自分たちのものでないこと、またパレスチナであるヘブロンにどんどんユダヤ人が押し寄せていることを嘆いている。ヘブロンは、パレスチナ(West Bank)にありながら、街中にユダヤ人の住む場所が存在しているというきわめて特別な市であり、市民同士は緊張関係にある。ヘブロンに向かう公共バスの窓は防弾ガラス、ヘブロン市内にはIDF(Israel Defence Forces)の重装備の兵士がたくさんいる。

マクペラの墓(マクペラは場所の名前。この建物の下に上記全員が眠っている)は真ん中に仕切りがあって、イスラム・モスク側とユダヤ・シナゴーグ側に分離されている。それでいて以前はカトリック教会でもあったという建築物。ユダヤ人ガイドはイスラム側には入れないし、パレスチナ人ガイドはユダヤ側には入れない。11人のツアーグループの中にもユダヤ人が何人かいたが自分の素性を表明すれば入れてもらえないので内緒でイスラム側に入った。イスラム側で「ユダヤ人はいませんか?」とチェックポイントで聞かれたら、クリスチャンが「We are Christians」と叫んでくれと頼まれた。一人そう答えれば、グループ全員クリスチャン団体とみなされ通過できるというわけらしい。

マクペラの墓。
まずは、イスラム・モスク側へ。入るときは女性にはこのようなチャドルを貸してくれる。パレスチナの子どもたちはどこに行ってもスーパーフレンドリーだけど、ここマクペラのモスクでも同じ。どんどん寄ってきて笑顔で話しかけてくる。ユダヤの人は、「イスラムでは小学校のときから、ユダヤ人を憎むように教育される」という人がいるけれど、この笑顔の子どもたちがそんなふうに教えられているとは考えにくいなあと思う。
こちらはユダヤ・シナゴーグ側。サラの墓のまえで、マクペラの地下にある本当の墓の発見の話を聞く。写真のような階段があり、ユダヤ人に伝承されていたとおり二つの洞窟が存在しているのが発見されたそう。説明しているのはユダヤ人ガイドのエリアフ。ユダヤ人の子どもたちは、パレスチナ子のように気軽に話しかけてくるようなことはない。これは街を歩いていても思うけど、一般的にユダヤ人よりパレスチナ人のほうがずっとフレンドリー。

この建物には以前は仕切りがなかったのだそう。1994年に、アメリカ系ユダヤ人の医師がそこで祈っていたイスラム教徒を襲撃し、パレスチナ人イスラム教徒29名が殺害され、125名が負傷するというヘブロン虐殺事件が起こった。これにより、このマクペラの墓もふたつに分離、ヘブロンの街の中もさらに厳しい分離体制となったのだそう。今ではユダヤ教・イスラエルとイスラム教・パレスチナはどうやっても交わらない絶交状態の兄弟になってしまった。ガイドのエリアフが見せてくれたけど、虐殺事件の前までは、この同じ建物でユダヤ教徒とイスラム教徒が一緒に祈っていた(下の写真。右下床で祈っているのがイスラム教徒)そうである。美しい絵だと思う。

イスラエルとパレスチナの分離は地上の平面の区切りだけでなく、ここヘブロンでは上下の分離もある。下の写真はヘブロンの旧市街。歩いているところはパレスチナ側。でも上に鉄製ネットがある。なぜかというと、建物の上には「イスラエル人が勝手にやってきて、人の家の天井に家を建て住んでいる」というのである。上から、下の街中にゴミや尿などをいやがらせに落とすという。このツアーでもつい3日前に尿が上から降ってきたという((+_+))

ヘブロンの旧市街。ここはパレスチナ側なので、パレスチナ人のガイド、モハメッドと(写真手前のサングラスの人)。

こちらは旧市街の上のイスラエル側。上の写真のネットを見下ろしている感じ。

上層にあるイスラエル側のアパートから。
場所によってはこんな感じでアパートがたって、ユダヤ人が共同生活している。

上層のユダヤ人側に住むラビ(ユダヤ人の教師)によると、上からものや液体などを下に投げるということなど聞いたことがないという。ずいぶん話がかみ合わないのだけれど、きっとどちらの言っていることも100%正しいことはなく、またどちらの言っていることも100%間違いでもないのだろうと思う。こんな二つの子孫を見て、アブラハムは(そして神も)きっとずいぶんと悲しんでいるだろうなあと思う。

下はパレスチナ側旧市街にあるお店のようす。

くつやかばんの修理屋さん。ものにまみれて、でも真ん中にミシンをふむおじさんがちゃんと写っています。みつけてね。
お肉屋さん。牛の頭はほんものです!

エルサレム博物館

Bible Lands Museumというのと、Israel Museumというのに行ってみた。Bible Lands Museumはその名の通り聖書(旧約)の歴史をたどるもの、Israel Museumは総合的なアート博物館だけど、考古学の建物には聖書の歴史に関係した考古学的な発掘物を展示していて、死海文書も見られる。興味深いものがたくさんありますが、いくつかだけ紹介します。

1世紀のコラジンにあったシナゴーグの遺跡。ガリラヤ地方を中心に福音を伝えたキリストはきっとこのシナゴーグにも行ったんじゃないかと思う。だけど、「わざわいだ、コラジン。(マタイ11:21)とキリストに言われているから、悔い改めないシナゴーグであったのかも。
古代ユダヤの墓。裕福な人は個人用の墓を持たが、ふつうの人は家族ごとのこのような墓をつかいまわしていたそう。遺体やその人にまつわる物を再度のベット状のところに安置し、完全に骨になったら骨は骨を入れる箱(長方形の粘土製)に収め、その人にまつわる物は中央のスペースに移動させた。古代ユダヤでは、死後3日間は霊が遺体とともにあり、その後霊が離れる(完全な死)となると考えられていたとのこと。
足を洗うためのたらい。人々ははだしやサンダルで徒歩で移動していたので、客を迎える側は、このようなたらいで足を洗って迎え入れるのが礼儀(もてなし)だったそう。
第二神殿に建てられていたサイン。ユダヤ人しか入れない場所と誰でも入れる場所との境界に、このようなサインがたくさん建てられていたそう。「異邦人はここには入ってはならない。違反して捕らえ死罪となっても自分の責任」という意味。

そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。 

しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。 

キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。

エペソ人への手紙2:12-15

パレスチナ

イスラエルの民が初めて約束の地に入った場所ジェリコも、キリストが生まれたベツレヘムも、キリストがヨハネからバプテスマを受けたヨルダン川も、マリヤとマルタとラザロが住んでいてキリストが何度も足を運んだべタニアも、今はすべてイスラエルではなくてパレスチナにある。こういう書き方をすると本来はイスラエルであるはずなのに、残念なことにパレスチナ領になってしまっている・・と聞こえるけど(ユダヤ人はそう思っている)、パレスチナの人から見ればイスラエルが勝手に入ってきたと思っている。

実際、神がアブラハムに命じ、モーセとヨシュアが率いたイスラエルの民が入った土地は本来はイスラエルのものになるはずだった。聖書によればそれがそもそもの神の計画であった。

「さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。

ヨシュア記1:1-4

だけれど聖書では、この後、イスラエルの民が諸国の神(偶像)を礼拝し、約束の土地を獲得しきれないどころか、内輪もめの結果南北分裂、神から遠く離れたため、北イスラエルはアッシリアに捕囚、南ユダ王国はバビロンに捕囚、ソロモン王の建てた第一神殿は崩壊し、民族はあちこちにばらばらになった(ディアスポラ)。いったん、ペルシャのクロス王のもと、イスラエルはバビロンからエルサレムへの帰還がゆるされ第二神殿が建つも、その後もイスラエルは神に帰り切ることがなかった。それからも混沌とした時代が続き、ギリシャによる統治を経て、ローマの属国となりさがっていたイスラエルにメシアとして現れたのがキリスト。神から離れていたイスラエルに、神自らが近づいた。それがひとり子としてこの世に送られたキリスト。「時は満ち、神の国近づいた悔い改めて福音を信じなさい(マルコ1・15)」とキリストはイスラエルに説いた。しかし一部のユダヤ人を除いては、イスラエルが神に帰ることはなかった(どころかキリストを十字架につけた)。これによりAD70年にはローマによって第二神殿も崩壊し、イスラエルはさらにディアスポラで世界中に離散しイスラエルの国は消滅した。

その消滅したイスラエルという国が、1948年に奇跡的に復活し再建国された。イスラエルは、神による選びの民であり、旧約聖書でもまた新約聖書の最後にある黙示録(唯一聖書でこれから起こることが書いてある書)でも重要な役割を果たす民。なので、聖書を信じるクリスチャンの多くは、イスラエルのこの土地への帰還、再建国、領土の拡大は喜ぶべきことととらえる向きがあるけれど、今までずっとここに住んでいたパレスチナの人々からすると、いきなりやってきて「神に与えられているから自分の土地だ」と宣言し、「あなたたちは出ていきなさい」といわれて反発しないわけがない。

パレスチナ人クリスチャンのダニーが、パレスチナの歴史や今の生活をいろいろと教えてくれた。実際、イスラエルから自分のずっと住んでいた家から追い出された人々、不当にも暴力を受けた人々、イスラエルに占領されたことで長らく住んでいた場所を離れ難民となった人々のことを聞いた。パレスチナの人側からの話を聞けば、イスラエルのしていることはひどい仕打ちのように聞こえる。たとえば、チェックポイントというのがパレスチナの人の生活を大変に困難にしている。チェックポイントは、パレスチナとイスラエルの間にあるだけでなく(パレスチナの人はイスラエルに簡単に入れないし、イスラエルの人はパレスチナに簡単に入れない。たとえば旅行者ならエルサレムからベツレヘムへ行くのは簡単だが、イスラエル国籍の人はベツレヘムには入れない。反対も同様)、パレスチナの中にもイスラエルの統治の度合いによってエリアA、B、Cという段階があり、すべてパレスチナ(West Bank)にあるエリアであるにも関わらず、異なるエリアの間にはイスラエルによるチェックポイントがある。これがパレスチナの人々が自由に移動することの多大な制限になっている。たとえば妊娠している女性が、産気づいて出産のため他エリアの病院に行こうとしても、チェックポイント通過する許可がすぐにおりず、しかたなくチェックポイントで出産する女性が数多くいるそう。なんという不便。

また、パレスチナはイスラエルから水の供給を得ているが、水はだいたい3週間に一度パイプが開かれ給水されるそうで、それが実際いつなのかは起こるまでわからないという。給水を受けるときにできる限りをビルの屋上にある給水タンクにため、それを次回の給水時まで大事に使うそうだ。実際、House of Peaceに2泊している間に、夜、歯を磨いているときに急に水の出が悪くなり、どうしたものかと思っていたら、ためていた水を全部使い果たしてしまったという。緊急措置で井戸水に切り替えられた。

どのピルにもこのような給水タンクが屋上にならんでいる。3週間に一度程度のイスラエルからの給水が来るときに、このタンクにできる限りをためておく。

パレスチナの各地には、下ようなイスラエルの入植地(パレスチナ領にイスラエルがやって来て入植地を建てることが、国際法違反かどうかで意見が分かれている)がある。パレスチナの人にしてみれば、パレスチナ領の丘の上にイスラエルが勝手に都市開発をはじめ、比較的安い価格で住宅を売り出し、それにひかれてユダヤ人が引っ越してくるのは身勝手以外の何物でもない。入植するイスラエル人は、イスラエル人しか通れない特別な道路を通ってイスラエル側にコミュートする。パレスチナの人々はこのようなきれいに舗装された特別道路は通れない。周りのパレスチナには給水が限られているのに、これらの入植地には水は毎日配給されているという。

パレスチナ人ダニーは、「自分たちが主張しているのは、単に基本的人権に過ぎない」という。これだけ聞くと、パレスチナの人は不当に扱われているように感じる。イスラエルにはイスラエルの言い分が、パレスチナにはパレスチナの言い分があるのだと思うけど、完全に中立で公平な見方をすることは何と難しいことかと思う。キリストを信じる者としてどういう立場をとるのか、考えていくことが必要だと思った。

ベツレヘムより

ベツレヘムでは、House of Peaceというパレスチナ人のクリスチャンが経営しているホステルに泊まった。パレスチナ人はアラブ系。大方はイスラム教信者だけど一握りクリスチャンがいて、クリスチャンであってもほとんどがカトリック系らしいけど、House of Peaceはプロテスタント系のクリスチャン。アラブ系のプロテスタントの人にはあまり会ったことがないので、ぜひいろいろ聞いてみたいと思って泊まってみた。

家族運営のHouse of Peaceはすごく家庭的。お母さんのエレンと息子のダニー。ダニーはツアーガイドもやっていて、2日間案内してもらう。着いて初めて聞いたアラビア語が「エンシャーラ」。このアラビア語はShevetでボランティアしているとき、ガザやシリアのムスリムのお母さんがすぐ口にしていたので覚えていた。In sha’Allah とつづり「アラーのみこころならば」という意味。何か予定を建てたり、自分の考えを語った後や、計画通りに行かなかったときなど、とにかく頻繁にこの言葉を言う。神にすべてをゆだねる雰囲気があって、私は好きなことば。でもアラーということばが入っているから、私が使っていいものなのかどうかと思っていたけれど、House of Peaceでクリスチャンの口から「エンシャーラ」と聞いたので、ああやっぱり大丈夫だと思った。ダニーが言うには、「アメリカ人などは、アラーはイスラムの神だと勘違いしてることがあるけど、アラーはただ単に”神”を意味することばなので、クリスチャンが使っても何ら問題ない」とのこと。

ダニーに案内してもらって、ヨルダン川、ジェリコ(エリコ)、死海を回る。

ユダヤの荒野。キリストが40日過ごしたところがこんなかんじだったらしい。

荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。

ルカによる福音書4:2
ヨルダン川。イスラエルがヨシュアに率いられヨルダン川を渡って約束の地(初めに征服したのがジェリコ)に入ったところ、またキリストがヨハネから洗礼を受けたのがこの辺ではないかと言われている。こちら側が約束の地側(今はイスラエルではなくてWest Bankパレスチナ)、向こう側はヨルダン。イスラエルとヨルダンがヨルダン川の水を農耕などにどんどん使っているのと温暖化の影響で、水かさがどんどん減り、ヨルダン川はますます小さな川になっているそう。実際すぐ渡れそうな川だった。

すべてのイスラエルが、かわいた地を渡って行く間、主の契約の箱をかく祭司たちは、ヨルダンの中のかわいた地に立っていた。そしてついに民はみなヨルダンを渡り終った。

ヨシュア3:17

 さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、

聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」

ルカによる福音書3:21-22
キリストを見るためにザアカイが登ったと言われる木。考古学的証拠はないが、この木の根は2,000年前までさかのぼるそうで、ほかにはこれほど古い木がないので、もしかしたらそうかもしれないとのこと。

さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。
ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。
彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。
それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。

ルカによる福音書19:1-4
Tel Jericoと呼ばれるジェリコの街の跡。ジェリコの歴史はBC8000年までさかのぼるそう。
道を走っていると、羊飼いの姿を見かける。緑の牧草地を想像していたけど、かなり荒野っぽいところでほんの少し草があるような丘というか山肌で羊を飼っている。あんなところで羊が迷ったら水も食物もなくてすぐ死ぬだろうと思う。
べタニアにあるラザロの墓(考古学的証拠はないが、マリア、マルタ、ラザロは裕福な家であったことから、この洞穴の墓がそれらしいと考えられているそう)。すでに時間が過ぎてしまっていたのに、ガイドのダニーが連絡をしてくれたら管理の人がわざわざ来てくれて開けてくれた。パレスチナの人は素朴で親切な人が多いと思う。

さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤの人であった。

ヨハネによる福音書11:1

その日には、生ける水がエルサレムから流れ出て、その半ばは東の海に、その半ばは西の海(*死海)に流れ、夏も冬もやむことがない。

ゼカリヤ14:8
ベツレヘムから3キロほどのBeit Sahourというところにある羊飼いの洞窟(Shepher’s Field)。キリストの生誕を羊飼いが告げられた場所ではないかと言われている。羊飼いは当時、夜はこんな洞窟で羊を眠らしたそう。

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。

すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。

御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。

 きょうダビデの町(*ベツレヘム)に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

ルカによる福音書22:8-12
ベツレヘム郊外のBeit Sahourは、ボアズの野(Boaz’s Field)とも呼ばれていて、こんな感じのところでボアズは大麦、小麦をつくっていたらしい。ボアズはダビデ王のひいおじいちゃん。ダビデ王の末裔がイエス・キリスト。

ボアズはルツに言った、「娘よ、お聞きなさい。ほかの畑に穂を拾いに行ってはいけません。またここを去ってはなりません。わたしのところで働く女たちを離れないで、ここにいなさい。

ルツ記2:8

サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、エッサイはダビデ王の父であった。

マタイ1:5-6
ベツレヘムのNativity Church。キリストが生まれた場所といわれている。

ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、

初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

ルカによる福音書2:6-7

ベツレヘムへ

5週間のShevet Achimでの無事奉仕が終わった。誰かが旅立つとき、Shevetでは全員からWord of Encouragement(励ましの言葉)を送ることになっていて、ひとりひとりから思い出や面白い話やはなむけの言葉をもらう。たった5週間だけど、全員でひとつの目標に向かって、しかも普通ではないような困難も一緒に乗り越えていくことで、関係がかなり深いものになる。神の祝福は関係に現れると思う。受け入れてくれたShevetとこのような機会を与えれた神様にハレルヤ。

アシュドテ駅から電車でエルサレム駅に行き、そこからタクシーでベツレヘムへ。距離にして10Kmくらいだけど、エルサレムはイスラエル、ベツレヘムはパレスチナなので簡単にはいかない。ユダヤ人の運転手はパレスティナには入ることができないので、アラブ人のタクシーを使うことになる。以前は運転手にひとりひとりに、アラブ人かどうか確認するしかなかったようだけど、今はGettというアプリ(Uberみたいなやつ)で、行き先をBethlehemと入れると、自動的にアラブ人の運転手を選んでくれる。点々のところがイスラエルとパレスチナのボーダー。

ナオミと一緒にモアブから帰ってきたルツがボアズの畑で落穂ひろいをした街、羊を飼っていたダビデがサミュエルに油注がれた街、ヨセフとマリアが住民登録しに帰ってきた故郷、キリストが生まれた街、ベツレヘム。

House of Peaceというホステルに2泊予定。ここはパレスチナ人のクリスチャン(数少ないプロテスタント系)がやっているホステルで、そこの息子のダニーというひとがツアーガイドもしてくれるというので選んでみた。

ここは大変に安全らしい。パレスチナの人たちはみんな愛想がよくフレンドリー。大半はモスリムだけど、クリスチャンの旅人はイスラムでも大切な預言者イエスを信じている人だから大切にしなくてはならないと教わっているそうで。子どもたちも学校で旅行者にあいさつするようにと教わるらしく、笑顔で「ハーイ!」とあいさつしてくれる。その点、パレスチナ人のほうがユダヤ人よりずっと愛想がよく、声をかけてくれるように思う。House of Peaceで出会った人と一緒に夜のベツレヘムを散歩してみた。

異邦人と律法

Shevet Achimは聖書のみことばをはじめから終わりまで信じる人で運営されている。クリスチャンと言ってしまえば簡単だけど、いろんな国からのクリスチャン、いろんな宗派を経てきた人がいるし、自らをメシアニック・ジュー(キリストをメシアと信じるユダヤ人)という人もいる。それぞれ聖書を真剣に読み探し求めている人ばかり。

ある安息日が始まる前の食事のテーブルセッティングの奉仕が私の番で、私がキャンドルを灯したら、メシアニック・ジューのマルガリータが「ちゃんと祝福した?」という。「祝福って?」と聞いたら、マルガリータが安息日の食事のキャンドルを点けるときの祝福を教えてくれた(ヘブル語で)。そして、そのキャンドルは消してはいけない(自ら消えるまでそのままにしておく)という。食事が終わってテーブルをすべて片づけ終わっても、キャンドルはまだ燃えている。もうみんなテーブルからいなくなっちゃたし、キャンドルが燃え終わるまで私がそこにいるのはいやだし、だからといって燃えているキャンドルをそのままにしていなくなってもよいものか。福音派クリスチャンのブリアに、「どうしよう、消さないほうがいい?」と聞いてみると、彼女は「そのほうがいいかもだけど、私自身はユダヤのしきたりはあんまり気にしない」という。私はどうだろう。

私はユダヤのしきたりは全く気にしないということはない。どちらかというと気にかけるというか、ユダヤの例祭や律法、ユダヤ人が習慣としてやっているすべてのことには、実はキリストにかかわる深い啓示が隠れていることが常で、クリスチャンにとっても無関係ではないことを知り、ぜひもっと学びたいと思っている。ただ、律法を守らないと神に受け入れられないとか、律法を守ることで神に近づけるとかというようには思わない(実際、クリスチャンの中に、「ユダヤ人たちは律法を守ることで救われるとか、律法を守ることで天国に行けると考えている」というような話になることがあるがそうではないらしい)。さて、どうするか・・と考えて、結局面倒なので安全も考えてキャンドルの灯は吹き消してテーブルを離れた。

今日の朝(最後の朝の賛美と祈りのとき)に、マルガリータと律法のことで(よい意味での)議論になった。私が豚肉を食べるといったら、マルガリータはびっくりする。「神が汚れているという食べ物は今も昔も汚れている」という。使徒行伝で、異邦人にも神の霊が下るのを見たペテロのことばを引き合いにだして、異邦人は4つのもの(偶像に供えて汚れた物、不品行、絞め殺した物、血)を避ける以外には、食物規定などの律法からは解放されているのではないかと言ってみた。

そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。

ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。

使徒行伝15:19-20

そうしたら、マルガリータはその次の句を引用してきた。

昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸教会で読まれているからです。

使徒行伝15:21

マルガリータはどうやら(彼女はスペイン語しか話さないので、Google Translateを使ってなのでかなり微妙)、「4つのものはまず避ける。その後モーセの律法が安息日ごとに読まれれば、それでだんだんと必要な律法は広がっていくという意味だ」という。なので、モーセの律法を考えれば、豚肉は異邦人信者でも食べるべきではない・・というような意味あいをいっているらしい。

マルガリータとリビングルームで

マルガリータは、「一方的な恵みによる救い」は信じているので、俗にいう律法主義者ではない。ただ、「主に感謝し主に従いたいと思えば、おのずと律法を守りたいと思う」という姿勢だ。朝の聖書を時間で、ディスカッションになると、「律法やユダヤはあまり気にかけない派」と「律法やユダヤは非常に大事派」に分かれ、福音派系は前者、マルガリータと娘のタティアナは後者、私はその間だけどかなり後者よりだといつも感じていた。だけど、豚肉問題はどうもマルガリータに賛成ができにくい。だいたい、レビ記11章の食物規定は、神がモーセとアロンに語られ、「イスラエルの人々に言いなさい」と書いてあるから、ユダヤ人にだけ当てはまる律法ではないのかな。。

でも、そこでふと思った。律法をきちんと守ることはすごく面倒くさい。だいたい、イスラエルに来てから安息日が本当に大変だと感じている。私たち異邦人であっても、金曜の午後から土曜の夜まですべての交通機関やサービスやお店が閉まるのは本当に不便(こんな言い方ですいません、神様)。日から木曜まで一生懸命働き、金土の週末を使ってちょっと旅行にでも・・と思っても、金曜の朝出るのは問題ないが、土曜の午後ちょっと早めに帰ってきてゆっくりして、日曜日のしごとはじめに備える・・ということは不可能。土曜の夜9時過ぎくらいにならないと交通機関が動かない。だいたい、ユダヤ系のレストラン、お店、博物館は閉まっているのが多いので、観光にもならない。

土曜日の安息日、エルサレムを歩いていたら、道端できれいに身なりを整えた若い二人のユダヤ人カップルがいて、「英語話せますか?お願いがあるのですが?」という、「なんですか?」というと、「お風呂のボイラーのスイッチを安息日が始まる前に切るのを忘れて、このまま沸かし続けると爆発する(?)かもしれないので切ってくれませんか?」という。スイッチを点けてはいけないというのは聞いたことがあるけれど、スイッチを消すのもいけないんだ~と思いながら家に入り、壁の上にずら~っと並んでいるスイッチを前に、「で、どれを切ればいいですか?」と聞いたら、「どれということを言うのもいけないのです。」という。消してくださいとお願いすること自体がいけないらしい。それで、スイッチをかたっばしからオフにしたら、「ありがとう。それでいいです。」という。

そもそも安息日にしてはならないことは、クリエイティブ(創造に関する)ことである。神が6日で世界を創り、その創造が終わったので、7日目には休まれたことによる。よって、7日目はすべての労働(クリエイティブ・ワーク)をやめて、休息をする、神のところに立ち返り、家族・友人とゆっくりと時間を過ごすためにつくられた。してはならないというと禁止事項のようで(実際そうでもあるが)ずいぶんと厳しく不便なイメージがあるけれど、安息日はやらなくていいことはやらないでゆっくり休み、家族とごはんをゆっくり食べ、他の雑念に惑わされずにただただ安息する日なのです。とはいえ、俗社会にまみれている私からすると、やはり面倒と思ってしまう。だから、スイッチを消すのに、街角に立ってひたすら頼める人を待つこの若い夫婦に出会ったとき感動してしまった。スイッチを消してから、「私はクリスチャンなんですが、あなたがたユダヤ人がこうやって神をあがめるために律法を守って次世代へと伝えてくれたから、みとこばが異邦人にまで伝わりました。このような大変な思いをして、今でも律法を守っていることを私は深く尊敬します。」と伝えてみた。ユダヤ人の二人が意味がわかってくれたかはよくわからないけど。

私たちクリスチャンはともすると律法というものをもう古いもの、私たちには関係ないものと考えがちで、律法を守っているユダヤ人を軽く見てしまうようなところがないかな。「彼らは律法を守っているけど救われていない」などと。少なくとも私は今までそうだったように思う。だけど、こんな面倒な思いをして律法を守り、神をあがめている人々をどうやって見下すことができるだろうかと思うようになった。だいたい、こんな面倒なことを一つ一つ、神様を本当に知らないのにできるだろうか。形式的にやるにしては、たとえば年に2回くらい(お盆と正月とか)ならやれるけど、毎週毎週のことをここまでやる原動力は、やはり神への愛ではないかと感じる(ま、いろんな人がいるだろうとは思うけど)。神との親密な関係なしに、ここまで面倒な律法を守るモティベーションが生じるだろうか。神からの祝福を受けることなしに、トーラを愛してやまないというようなことがありえるだろうか。

私は、マルガリータのいうように、たとえば食物規定(や他の律法)が同様に異邦人に課せられているとは、聖書から読み取れないので少なくとも今はそう思わないけど、もしも・・もしも・・「本当に心から神の子とされた祝福と喜びがあるなら、律法に従ってみませんか?」とチャレンジされたらどうだろう?「そんな面倒なことはできないし、ばかばかしいのでやりませんが、神様はそれでがっかりしたりすることはないと思います」というかな。それとも、「本当に神の子とされ、ありあまる祝福を得、キリストともに歩むよろこびを知った今、もしも律法を守ることがさらに神をたたえることになるなら、よろこんでやります」といういかな。いずれにせよ、律法を守っている人を私は軽んじることはできないと思う。

やっぱユダヤ人に見えない?

Shevetでの奉仕もあと残すところ3日。今日は娘と二人で食料買い出し。買い出しの奉仕ももう5回目くらいかな。運転もずいぶんと慣れてきた。Shevetでの奉仕はいつも二人組。最初は慣れた人に教わりながら、見よう見まねでやり方を覚えていく。今回は娘と二人だけで、他に頼る人はいない。今でもヘブル語は話せないしわからないことだらけだけど、なんとかなるという守りを感じながら進んでいく力のようなものは成長したように思う。

いつもと同じように車を停め、カートをとって(5シュケル玉を入れてカートをとり、使い終わってカートを戻すと5シュケル玉が戻ってくるしくみ)お店の中に入ろうとしたら、ガードの人に止められた!いつもお店のところにセキュリティみたいな人が立っているのだけど、今までドイツ人、アメリカ人、コロンビア人と一緒に来たときは一切止められたことがなかったので、今回もふつうに通り過ぎようとしたら、娘と私(どう見てもアジア人)に止まれという。バッグの中を見せろといわれ(ヘブル語だったけど、身振り手振りで)中を見せる。難なく入れてもらったけど、そこで考えた。

ユダヤ人というのは1948年までは自分の国を持たず、そもそもディアスポラで世界中にちりぢりばらばらになっている人がだんだんと帰還して国ができあがっているので、ある意味でいろんな国の文化や言語にフレンドリーというかんじがある。帰還したばかりならヘブル語ができないこともあるわけで、ヘブル語ができないから生活ができないということもない。ユダヤ人でなく、アラブ系の人口も20% いる。いろんな人種のひとがいてオリジナルの中近東系、白人系、南米系、南アフリカ系などなどなんでもあり。だからとにかくいろんな顔の人がいる。だけど、アジア系ユダヤ人というのはいないのかな?エルサレムではアジア人も見かけたけど、アシュドテでは私たち二人以外のアジア人に会ったことはない。

Wikipedia情報だけど、ディアスポラでは、西アジアはもちろんのことインドあたりまではユダヤ人が広がったそうだけど、東アジアにはやはりユダヤ人移民は少なかったらしい。ただ、全くないということではなく、中国、韓国、日本にも少なからずのユダヤ人もいるそうで、日本では東京や神戸を中心に数百世帯が住んでいるそうだ。だけど、他の国のように現地化して日本人となりながらも、実は血統的にユダヤ人という人はほとんどいないのでしょうね。

まあ、入り口チェックにはちょっと寂しい気がしながらも、とにもかくにも3日分の買い物(1,400シュケル=420ドルくらい)が終わりました。これでこの買い物の奉仕も最後です。

悲しい賛美

この歌は安息日ごとにShevet Achimのテーブルで歌われる曲がこちら。Shevet Achim(Dwelling Togatherの意味)の名前は詩篇133篇に由来するもので、ここに来る病気の子どもたち、家族たち、ボランティア、訪問者みんなが、国籍、言語、宗教にかかわらず兄弟として一つになって神の祝福のもと住まおう・・という意味がこめられている。なので、安息日に必ず思いを込めて賛美する。歌詞はこの聖句のヘブル語そのままを繰り返す感じ。

見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、

なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。

詩篇133:1

だけれどこの曲、ユダヤによくあるマイナー調の曲。「なんというしあわせ、なんという楽しさ」とうたっている割にはあまりにも悲しげ。

思うのだけどユダヤの神をたたえる曲はマイナー調が多い。日本の演歌のようなノリで、嘆きながらかなわぬ愛の悲しみを歌うとでもいいましょうか。エルサレム神殿の外壁で唯一崩れず残っている西壁は「嘆きの壁」という名前で知られているけれど、ユダヤ人たちは嘆いているのである。最初の神殿はバビロン捕囚で崩された。そのあとゼルバベルとヨシュアが神殿を再建し、エズラが神殿にトーラを戻し、ネヘミヤが外壁補修を行ない、その後ヘロデ大王が豪華な改修をした第二神殿もAD70年にローマによって崩壊した。集められるはずのユダヤ人がさらにあちこちにちりじりばらばらになった。そこに嘆きがあるのではないかなと想像する。神の愛を知りながらも、神の愛にこたえきれていない嘆き。旧約聖書には、神はイスラエルと契りをかわし、イスラエルは神の妻になる存在であるのに、浮気をした(偶像=神でないものと、姦淫をした)と書いてある(エゼキエル16章)。

ユダヤ賛美はそんなわけで演歌の世界とそれほど遠くないのかもしれない。たとえば下の演歌。三船和子(Google検索しただけでよく知りません)の「やっぱりあなた」という曲の歌詞。

下は聖書から。

主はこう言われる。

わたしは、あなたの若いころの真実の愛、婚約時代の愛、

種も撒かれていなかった地、荒野での

わたしへの従順を覚えている

エレミヤ2:2

しかし、あなたは言う。

「あきらめられません。

多国の男たちが好きなので、

私は彼らについてきます」と。

エレミヤ2:25

背信の女イスラエルよ、帰れ。 

ー主のことばー

わたしはあなたがたに顔を伏せはしない。

わたしは恵み深いから。

ー主のことばー

わたしは、いつまでも恨みはしない。

ただ、あなたがたの咎を認めよ。

あなたはあなたの神、主に背いて、

青々と茂るあらゆる木の下で、

多国の男と勝手なまねをし、

わたしの声に聞き従わなかった。

ー主のことば。

エレミヤ3:12-13

神は今も、イスラエルが「やっぱり あなた」と神に帰る日を待ち望んでおられる。帰り切れていないことを嘆くことは、きっとたいせつなのだと思う。嘆かなければ忘れてしまうし、そのままになってしまう。嘆くからこそ、帰る日が来る!

じゃあ、私たちクリスチャンはどうなのだろうとふと思う。イスラエルが神の妻なら、教会はキリストの花嫁と書いてある(IIコリント11:2)。私たちは花嫁にふさわしい歩みをしているだろうか。最近トシのせいか、恵みをよろこぶ明る~いアメリカンな賛美だけだとたまに疲れることがある。私には明るすぎるとでもいいましょうか。神にあって大いによろこぶ一方で、嘆く賛美、神のあわれみを受けつつ神のスタンダードにはとうてい達していない嘆き、かなしみを歌う賛美というのもいいんじゃないかな~などと考える。演歌賛美、いいかも?

嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。

主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。

ヤコブの手紙44:9-10

必要とされないこと

シェバホスピタルに行くと、自分がほんとうに何もできないことを感じることが多いけど、だんだんそれに慣れてきた気がする。今日も心臓のエコーをとるため子どもに付き添ったのだけど、その子が泣いて泣いてどうしようもない。泣いてばかりいるときちんとしたエコーが取れないので何とかなだめようとするのだけど、いったん泣き出した小さな子どもをなだめるというのはかなり難しい。そんな中、看護婦さんやテクニッシャンから「ちょっと外に出ていて」と言われることがある。今日も、この前も。言われて半分はほっとする。そこに私がいても、言葉ができるわけでもなく、医療的なことがわかるわけでもなく、母親以上に子どもをなだめられるわけもなく、とにかく何もできないわけで、そこにいるというタスクから解放されてうれしい気持ち。半面で、やっぱ私は不要だよね~というちょっと悲しい気持ち。

もしかして必要とされるかもしれないからウロウロしているけど、必要とされなくても特にがっかりもせず鼻歌でも歌っていられるようになりたいな。

そう遠くはないのかも

手術をしたばかりの我が子に付き添うお母さんが、まだ麻酔でもうろうとしている子の顔をなでながら、「コルバーニ、コルバーニ」と何度も繰り返している。アラビア語だから私は何を言っているのか何もわからないのだけど、このコルバーニという言葉だけはもしかしたらヘブル語のコルバンではないかと思って聞いてみた。

ヘブル語のコルバンは「神へのささげ物、いけにえ」のことだけど、もともとも原語の意味は「神に近づけられるもの、引き寄せられるもの」のような意味。レビ記にあるように、いけにえの上に手を置くことで自分を動物に転嫁し、自分の代わりにいけにえを捧げ、自分が神に近いものとされるようにと祈りをもって行う。いけにえは神に近づくためのもの。

それでアラビア語の「コルバーニはいったいなに?」と聞いてみたら、やはり「犠牲、いけにえ」のことだという。母は(父もかな)子どもが大変な目にあっているときにこの表現をよく使うそうで、「自分があなたの代わりに犠牲になりたい」といって愛を表現するのだそうだ。へえ、似た言葉なんだね。

ある時、子どもの手術後お医者さんに質問をするお母さんのそばで、Google Translateを使ってアラビア語→英語で翻訳を助けていたら、「割礼は受けてもよいか?」という質問だったのでびっくりしたことがある。私はアラブ人も割礼を受けることを知らなかった。へえ、とたまげた顔をしている私を横に、キッパをかぶったユダヤ人のお医者さんは、「薬のせいで血が固まらないことがあるから、今はちょっと待ってください」と当然のことのように対応していた。へえ、割礼もするんだ。

イスラエルでは、ユダヤ系の人とアラブ系の人はその恰好ですぐ見分けがつくことが多い。Shevetのお手伝いしているガザやイラク、クルディスタンから来るお母さんは、アラブのヒジブ(被り物)をしている人がいるとそそくさと近寄ってアラビア語で話しかける。名前もキーで、ドクターがモハメッドとかいう名前だったらアラビア語が通じるということでいきなり喜ぶ。そういうわけで、案外みんなユダヤ系かアラブ系かは常に意識をして、区別をしながら生きているような感じがする(外部者としての観察だけど)。

イスラエルではすべての標識はヘブル語、アラビア語、英語の3か国語で表示されている。文字だけ見ているとまったく違う原語。だけれど、ユダヤ人でアラビア語を独学でマスターしたというモーセに聞いてみたら、実はユダヤ語とアラビア語はすごく似ているところが多いという。ヘブル語もアラブ語もどちらもセム語系であり、文字システムは違うが、文法や単語においてはかなり類似しているという。ぱっと聞いただけでは全く理解できないが、いったん類似点がわかってくるとかなり効率的に学び合える言語らしい。

かなり唐突ですが、日本語と韓国語を思った。たとえばですけど、以下の韓国語を見ても日本人には全く異質のものとしか映らない。

기획재정부는 경제 상황에 대해 “대외여건 악화 등으로 높은 물가 상승세가 지속되는 가운데 투자 부진, 수출 회복세 약화 등 경기 둔화가 우려된다”고 총평했다.

でもこの中で、そもそも漢字があるハングル部分を漢字に置き換えてみると・・

企画財政府는 経済状況에 대해「対外条件 悪化등으로 높은 物価上昇가 持続되는 가운데 投資不振 輸出回復税 弱化등 景気 鈍化가 憂慮된다」고 総評했다.

これ、案外意味わかっちゃいませんか?ユダヤ人(イサクの子孫)とアラブ人(イシュマエルの子孫)、実はかなり近く、近いからケンカしちゃう兄弟なのかもと少し(変な?)親しみを感じた日でした。兄弟の仲直りは神の願いだと思いながら。

アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。

創世記17:26

アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。そして自分の民に加えられた。その息子、イサクとイシュマエルは、アブラハムを、マムレに面するマクペラの洞穴に葬った。

創世記24:8-9

福音って何なんだろう?

イエスのほんとうのヘブル語の名前、イエシュアは救いを意味することを先日のブログで考えてみた。この「救い」という言葉、それから「福音」ということば、クリスチャンにはなじみの深いことばだけど、聖書を読むようになって12年たった今、この基本的なことばが実はよくわかっていなかったような気がしている。

「私の罪のために死んでくださり復活したキリストを信じれば、救われて永遠のいのちを得て天国に行ける」というのが福音だとするなら、キリストがまだ十字架にかかっていない公生涯のはじめのうちで、キリスト自身が「福音を信じなさい」といっているその「福音」とはいったいなんなのかも疑問だった。

ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。

「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」

マルコの福音書1;14-15

ユダヤ人として育ち、小さいころから神殿やシナゴーグでみことばを学び、公生涯がはじまってからも安息日ごとにシナゴーグで教え、自分は律法を破棄するためではなく成就するために来た(マタイ4:17)と説き、イスラエルを救うメサイヤとして来られ、12人のユダヤ人の弟子をとったキリストを思うとき、福音は「天国へのチケット」だけではなくて、もっと大きな意味があるのではないかと思いを巡らしていた時、このメッセージに出会った。

What Is Salvation?   

話者のAaron EbyはFirst Fruit of Zionという、キリストを信じる者として、聖書を歴史的、へブル原語的、へブル文化的な観点から読み解く研究組織に参与している人で、興味深い記事をたくさん書いている。

Aaron Ebyの話は、詩篇80章、イザヤ書45章、ヨエル2章をとりあげつつ、以下の3つのポイントを指摘しながら聖書のいう「救い」は何なのかを考えてみようと言っている。

  1. 救いは、死後のことだけなのか、それとも生きている人生のうちのものなのか
  2. 救いは、今起こっているのか、それとも将来起こるのか
  3. 救いは、神とのパーソナルな関係にあり個人的なものなのか、それとも民族的・国民的・集団的なものなのか

「時が満ち、神の国が近づいた」のだから、福音は死後のことだけではなく、キリストが来たその時すでにあったものであり悔い改めて信じれば今起こるものであると同時に、「その日」が来るとき神の怒りから救われるという将来的な意味もあり、さらには信じる者は神と個人的な関係を持つ祝福を受けている一方で、イスラエルにとって「救い」は個人的な意味で使われることはほとんどなく、常に神の民イスラエルという集合で語られるというような内容。

問題は、イスラエルの話はユダヤ人のことであって、私たち異邦人クリスチャンには関係のないことなのか・・であるけれど、私個人としては聖書を読めば読むほど、聖書にははじめから終わりまで一貫した神の意図と計画が流れており、私たちにももちろん同様に当てはまるメッセージのように感じる。とくに3つめのポイントにおいて考えるところが多い。「神を愛すること」と、「兄弟を愛すること」が律法の中で一番大切なエッセンスであるというキリストの言葉を考えるとき、異邦人においても兄弟姉妹全員、教会全員、世界の普遍的教会全体で、約束の地に入ること、神の国(天のみ国)に入ることを神は望んでおられるのではないか。

最近、私自身教会内の分裂を経験し、本当はどんどん一つにならなければならないところ、分裂しまったことを主に対して大変申し訳なく思う。教会といえども足りない者の集まり。いろいろあるけれど、そこをキリストにあって赦し赦され、励まし合ってともに神の国に入ることを聖書は願っているのではないだろうか。

使徒パウロはのちには異邦人伝道の使徒とも呼ばたが、本来は生粋のパリサイ派のユダヤ人であり、同胞ユダヤ人の救いへの思いをつのらせている一句が心にささる。

私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためならば、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。

ローマ人への手紙 9:3

私は同じ祈りを、自分の教会の兄弟姉妹に祈れるだろうか。「主よ、私は、(ちょっと受け入れがたい)〇〇さんのためならば、私が神の祝福を全部失いのろわれた者となってもよいです。〇〇さんを引き寄せて祝福してください。」とてもできないだろうなあ。でもこれができたら、教会は分裂しないだろうなあと思った。

万軍の神 主よ 私たちを元に戻し

御顔を照り輝かせてください。

そうすれば 私たちは救われます。

詩篇80:19

ユダヤ人の家にあるもの (3)

ボンブ・シェルター(防爆部屋?)。1951年だかの法律ができてから、各家庭(場合によっては何世帯かで共有もOKときいた)にはボンブ・シェルターをつくることが義務付けられた。Shevetの借りている家のシェルターはここ。キッチン横のパントリー(食糧倉庫)。

ミサイルが飛んできてサイレンがなったらここに逃げることになっている。部屋は金属の壁で囲まれ、ドアも金属。

家にいるときならいいけど、外で散歩しているときサイレンがなったらどうするの?と聞いてみたけど、どうやらコミュニティーのボンブ・シェルターというのがあるらしいけど、どこにあるのか誰も知らない。「サイレンはほとんどならない。イスラエルにはアイアンドームがあって、ミサイルが飛んできても上空で追撃爆破させて地上にはこないからいたって安心・・」というのがみんなが言う言葉。

ガザからハマスが発射するミサイルは約14%が失敗でガザに落ちる・・イスラエル側に飛んでくるミサイルのうち90%はアイアンドームが上空で撃沈させ、残りはそもそも居住地ではない荒野に落ちる・・というのが安心の裏にあるロジックらしい。ただ、まれには居住地にミサイルが落ちて死者が出ることもあるので完全ではない。アメリカにいて無差別の銃撃で命を落とすリスクと同じようなかんじなのかな(いや、昨今ではアメリカの銃撃の方がリスクが高いかもしれない!)。

ほんとうの名前

イエス・キリストはヘブル語の原語では、イエシュア・ハ・メシアとなる。イエスは男性の名前で、おそらくラテン語かギリシャ語のイエズスが短くなって日本語ではイエスとなったのかと想像するけれど、もともとのイエスの名前は原語でイエシュア。

一方で、キリストは名前の一部ではなくて称号でありメシアを意味することば。ヘブル語の原語のメシアのギリシャ語訳がクリストスで、これがキリストという言葉になった。メシア=キリストは「油注がれた者(選ばれた者、任命された者、王として戴冠されたもの)」を意味する。

「ハ」は英語の「the」にあたるので、イエシュア・ハ・メシアは、Yeshua the Messiahというような感じになる。メシアニック・ジュー(ユダヤ人でキリストを信じる人たち)は、イエス・キリストとは言わず、原語でイエシュア・ハ・メシアというけれど、結局どちらも同じことを意味している。

私もイエスと呼ばずイエシュアというほうがなんだかしっくりくるようになった。ユダヤ文化で名前には深い深い意味がある。名前には、その人の使命や神から受けるものがこめられている。そういう意味で日本人がこどもの名前や意味にこだわるのとちょっと似ているような気がする。

キリストというとクリスチャンの世界であり、新約聖書にしか出てこないイメージがあるけれど、実はイエシュアということばは聖書の最初の書、創世記に登場している。

主よ、私はあなたの救いを待ち望む。

創世記49:18

この「救い」は原語でイエシュア。キリストは救いであり、創世の初めからすでに意図されていた。

このイエシュアということばは、旧約聖書に76回出てくる。出てくる場所を読んでいくのも興味深い。もしよろしければこちらで見られます

小さないのち

ガザから入院し、もう2か月もICUにいるソマイアという赤ちゃんがいる。手術が必要だけれど、小さすぎて手術ができない。呼吸器につながれながら体重が増えるのを待ちつつ早2か月。私がソマイアを前回訪問したとき、目を開けているけれどまったく生命のちからを感じさせないその姿があまりにもショックで、祈りの輪のニュースレター報告のために必要な写真をとってそそくさと部屋を出てきた。何もできない無力感に押しのめされて。

その夜に、ニュースレターを受け取ったある人から、「ただ手を握ってあげるだけ、しずかに言葉をささやくだけでも、大きな力になることをどうか忘れないでほしい」という内容の励ましメッセージがあった。それを読んで力を新たにし、今日ソマイアのところにいったらぜひ近づいてよしよししてあげようと決心をして部屋に入った。今日は、マルガリータが一緒にいたのも心強かった。彼女は祈りの人、いつもいつも祈っている人、来る車の中でも祈っていた。二人でソマイアの足を静かになでながら、マルガリータはスペイン語で、私は日本語で心を込めて祈った。その時起こったことを私は一生忘れないだろう。ソマイアがあちこち見まわすように目を動かし、口に入れられていたおしゃぶりを吸うように口を動かし、少しだけだけれど腕も動かした。ベットの中にあったのは、まさにいのちだった。

主よ、あなたがソマイヤを彼女の母の胎の中で織りあげ、あなたがソマイヤの鼻にいのちの息を吹き込まれました。どうか、あなたがソマイアに最大限のあわれみを注いでくださり、この小さないのちをよみがえらせてくださいますように。

神の祝福

6週間もイスラエルにいて、申し訳なく思うのは家のこと。家には、主人と息子がいてふたりとも仕事をしていて忙しい。イスラエルでボランティアといえば聞こえはいいけど、二人をほったらかしにしていることは、本来すべきことをしていないということでもありかたじけない。出発前できるかぎり冷凍おかずを作りだめしてきたけれど、日々の調理、そうじ、買い物、洗濯はやってもらうしかない。

主人の学生さんが卒業するので、恒例の年度末研究室パーティーがあったのだけど、私がいつものように準備することができず、Lineで電話しながら主人に買い物をしてもらった。主人は文句ひとつ言わず、息子もたくさん手伝ってくれたこと、パーティーもみんなのヘルプがあってうまくいったと、主人から感謝のことばを添えて写真が届いた。こういうことを神の祝福というのだと思う。ふつうならありえない有難きことと思う。主のみ名はほむべきかな。

庭掃除の一日

今日は庭掃除の日。Shevetは数か月までテルアビブの近郊ジャファにあったのだけど、最近ここアシュドテに引っ越しました。なので、ガレージに荷物があふれていたり、整理が終わっていなかったりで、日々順繰りでその片づけをしています。今日はほったらかしで草ぼうぼう、枯れ葉がたまった庭の掃除を5人でしました。

ゴミ箱いっぱいで押し込んでいるところ。。こういう仕事しているけど、ふたりともスカートなのがおわかり?Shevetでは、お手伝いするモスリムの人たちの考え方を尊重してドレスコードがあり、そでなし、首回りが広い物、ぴっちりした服、腰がかくれないシャツなどがNGで、それを知らずに持ってきた服の半分はそぐわず、結局Shevetに寄付された服の中から合いそうなものをひっぱりだして着ています。

こんなにきれいになりましたよ。暑い、暑い。。。

賛美と祈り

Shevet Achimでの一日は、毎日8時から10時までの祈りと賛美とみことばの学びで始まる。祈りはベースは英語だけど、自分のことばで祈ってももちろんオッケー。スペイン語があったり日本語があったり。賛美も英語の歌がメインだけど、みんなで好きな賛美を選ぶ。

9時前にコーヒーブレイクが入り、その後は聖書をみんなで読み(ちょっと前まで第一コリント人への手紙で、今はマタイの福音書)、思わされたことをただ自由にシェアしあう。このシェアリングが深い。聖書を深く読んでいる人が必ずいて、聖書のあちこちをつなげていく。自分の経験談も入る。国やシステムが違うから、いろんな教会の話を聞くのも興味深い。Shevetはいろんな人がやってくる。毎週1回テルアビブから奉仕に来る人、たまに緊急時のお助けマンに来る人、イラクの難民キャンプでボランティアしていてここで手術を受ける人に付き添いで来た人もいる。初対面同志であっても、聖書のみことばは共通語。すぐに深い部分での話ができるのはすごいことだと思う。聖書がいろいろな世界の言葉に訳されていて、みなが同じみことばを読んでいて、それがそれぞれの心に住んでいて、そのことばが響き合ってつなげてくれる。なんとすばらしいことだろう!Shevet Achim (“dwelling together”)のビジョン聖句を思い出す。

見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。

兄弟たちが一つになって ともに生きることは。 

詩編133:1

この朝の2時間の神との時間がShevetでの原動力だと思う。もちろん、病院に朝早く行かねばならないことも多く、全員がそろわないこともあるけれど、それでも残ったもので必ず2時間。神への感謝、神からの励ましと知恵、これがなくては何も始まらない。

神の箱のあった地

ここアシュドテは、アシュケロン、エクロン、ガテ、ガザとならんでペリシテの5大都市のうちの一つであり、今でこそ人口の90%以上がユダヤ人であるが、古くはペリシテの地であった。

アシュドテは聖書でも何回か言及される土地だけれど、一番印象深いのは第一サムエル記6章。

ペリシテ人は神の箱を奪って、エベン・エゼルからアシュドテまで運んできた。それからペリシテ人は神の箱を取り、ダゴン神殿に運んできて、ダゴンの傍らに置いた。アシュドテの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、なんと、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、元の場所に戻した。 

第一サムエル記5:1-3

神にあって一致できずペリシテ人に打ち負かされたイスラエルは、神の契約の箱をペリシテ人に奪われてしまう。ペリシテ人はその契約の箱を、ここアシュドテまで運んできたとある。ダゴンはもちろんアシュドテの偶像であり、創造主なるイスラエルの神とは全く相いれないものであった。このダゴンの神殿がどこであったのか、Google検索して、人にも聞いてみたけど、どうもそれはわかっていないようだ。どこかはわからなけど、でも神の契約の箱がアシュドテにあった!今、歩いているところを神の箱が通ったかもしれない!

神の契約の箱には、モーセが受けとった十戒のふたつの石板(トーラの象徴)、マナの入ったつぼ、アロンの杖が入っており、まさに神の臨在そのものである。霊的に脆弱になってしまったイスラエルは神の箱をペリシテに奪われてしまったが、この神の箱はあくまでイスラエルの神の臨在でありペリシテの地にあるべきものではなく、神が自らイスラエルの地に戻られる場面がある。

神の箱はダゴンの神殿でダゴンを倒し、ペリシテの人々を腫物や恐慌でうったので、ペリシテの人は神の箱の扱いに困り、主の箱を雌牛にひかせた車に乗せ、ペリシテとイスラエルの国境で、神の箱がどう動くかを傍観する場面。神の箱の車がペリシテ側にとどまるなら腫物や恐慌は偶然のことで気にすることはない、一方でもしイスラエル側に戻るなら腫物や恐慌はイスラエルの神が起こしたことで、箱はイスラエルに戻さねば大変なことになる。さてどうなるかという場面である。

雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一本の大路をまっすぐに進んだ。鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後について行った。ベテ・シェメシュの人たちは、谷間で小麦の借り入れをしていたが、目を上げると、神の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に来て、そこにとどまった。そこには大きな石があった。人々は、車の木を割り、雌牛を全勝のささげ物として主に捧げた。 

第一サムエル記6:12-14

今はどこにあるかわからない神の箱だけれど、神は今も神の民とともにありたいと願っておられるのだと思う。「その日」が来るまで、ずっと。

なお、このベテ・シェメシュで、神の箱が置かれたのではないかと思われる大きな石が見つかったという記事を読んだ!今回行ってみたかったけど、ちょっと日程的にきついのでまた次回!

ご興味あればどうぞ。

Stone slab unearthed near Jerusalem suggests connection to Ark of the Covenant

日本語(Google Translate訳)

The Location of Placing the Ark of the Covenant in Beth-Shemesh Discovered?

日本語(Google Translate訳)

地中海!

この1週間、パワフルジャーマンガールズ3人がバケーションをとっているため、本当に忙しい日々だった。疲れ果てて金曜日の昨日は一日中寝ていた。土曜日の今日はエネルギーも回復し、Shevetの自転車を借りてチーズをはさんだピタとスイカとブドウをもって海に向かう。安息日の今日、街ではシナゴーグに向かうユダヤ人たち。安息日で車は乗れないので、みんな歩いている。

30分で地中海!

水は透き通っていて、カリフォルニアの海よりずっとあたたかい。海にはたくさん車が泊まっていたから、きっとこれらの人々は安息日を守らない人たちらしい。

秋の終わり(11月)くらいまでは乾季で、少し自転車をこぐだけでも喉がかぴかぴ。水があるかないかは、本当に死活問題である。みことばが身に染みる。。。

イエスは答えられた。「この水(井戸の水)を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

ヨハネによる福音書4:13-14

謎のショッピングモール

Shevetの近くのショッピングモールが私には謎だった。アメリカのショッピングモールとちがい入り口を見つけるのが難しい。はじめて行ったとき、近づいても壁しかないので、きっとぐるっと回ったら入り口があるかと思うと、そこも壁。

さらに向こうに行けば入り口が・・と期待するも、結局4面とも全部壁。

モールに入るには、一つのコーナーにあるすごく小さな通路から(そこにガードが立っている)入るしかない、出るのもそこ。まるで入ってもらいたくないようなモール。いったん中に入れば別世界で、お店、レストラン、映画館、広場など楽しいスペースが広がっている。それが最近、ちょっと謎が解けた気がしたのがエルサレムに行ったとき。

エルサレムの城壁の中は旧市街で教会、シナゴーグ、モスク、お店、学校がある。あのショッピングモールは城壁型なのではないかとふと思った。

ユダヤ人の家にあるもの(2)

これはトーラの巻物、というか多分トーラの巻物のケースといったほうがいいかもしれない。前のオーナーが置いていったというこれ、おそらく中には本物のトーラは入っていないだろう。Google検索してみたら、トーラの巻物は$30,000から$100,000(すべて手書きで写される)だそう。

トーラ(モーセ五書、旧約聖書の最初の5つの書;創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)はユダヤ人の生活の中心にある。クリスチャンとして、はじめはトーラとか律法とかいうとすごく固く縛られる感じがあってなんだかコワイがイメージあったものだけど、だんだんへブル的観点を教わって聖書を読むうちにユダヤ人がどんなにトーラを身近にいとおしんでいるかが感じられるようになった。ほとんど、クリスチャンがキリストのことを思うような感じかもしれない。彼らはトーラを決められたスケジュールによって読んでいく。一年でトーラ(創世記から始まり申命記の最後まで)読み終えるようにスケジュールが組まれている。秋の祭りで7日間続く仮庵の祭りの一番最後にあるSimchat Torahという日に、この一年のサイクルが終わり、読み終えるなりすぐ同じ日に創世記の1章に戻り新しいサイクルを始める。仮庵の祭りは、ユダヤの3大祭りのひとつで、7日間の終わりの日にはイエス様が下のことばを語られている日。

祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた、「だれでも渇いているなら、わたしのところにきて飲みなさい。

ヨハネの福音書7:37

仮庵の祭りはクリスチャンのとっても大きな大きな意味がある祭り。ご興味があればこちらの記事を

Simchat Torahには、あのひげもじゃでまじめそうに見えるユダヤ人のおじさんたちが、トーラの巻物を抱きかかえながら、うれしそうに楽しそうに踊りはねる。こんなかんじで。見ているとほほえましい。日本人なら誰でも知っている「マイム、マイム(「水」の意味で、乾いたら存分に飲めるいのちの水!)は、この踊りのためにつくられたもの。詳しくはこちらを

神を愛するユダヤ人にとって、トーラは愛しくて愛おしくてたまらない神のことばであり、生活のあちこちで親しまれているように見える。たとえば、これは散歩のとき見つけた近所の学校の校庭の壁画。シナゴーグ、学校などにはトーラが描かれているのが多い。

一番上の開かれた巻物がトーラ。ワインにパン、エトログやルラーブ(仮庵の祭りに使われる)、角笛、オリーブ、メノラー(燭台)、エルサレムの城壁、ターリット(祈りのショール)、ザクロとすべて聖書のもの。

ユダヤ人の家にあるもの(1)

これはメズーザ。ユダヤ人の家の戸口、入るとき右側の戸口の柱につけられている。中には、手書きで書かれた申命記6章4-9節と11章13-21節が小さな巻物になって入っている。9節の「入り口の柱」の柱がヘブル語でメズーザ。左が家の中の各部屋にあるもの、右は家の玄関にあるもの。

メズーザはまっすぐではなくて若干内側に傾けてつけられる。はじめは雑につけて曲がってしまったのかと思ったけど、斜めでなくてはならないらしい。私たちの小さな部屋にはドアが二つあるので、メズーザも二つ。毎日みことばに守られて暮らしているのだわ!下のメズーザはエルサレムのJaffa Gate(ヤッフォ門)のもの。

4イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、

7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、

9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。

申命記6章

4節の「聞け、イスラエル(シャマ、イスラエル)」は朝夕の祈りの中心聖句でもあり、ユダヤ人にとってのもっとも大切(と言っていいのかわからないけど、身近にあり繰り返される)聖句。独特の旋律がある。こんなかんじで。

8節の「手につける」と「目の間に置いて」は、テフィリン(Tefillin )と呼ばれる小さな箱状のものをこんな感じでつける。

さよならパーティ

毎週、新しくやってくる家族がいれば、自国に帰っていく家族もいる。Shevetにやってくるこどもたちはみな心臓に病気があるけど、症状はまちまちで、すぐに帰る子もいれば数か月いる子もいる。

今回は、4家族が帰国。4人中3人の子どもたちは元気になって帰国するので(さみしいなりにも)うれしいことだけれど、一人は残念なことに闘病のすえ亡くなってしまった。赤ちゃんの遺体はエルサレムのムスリム墓地に葬り、お母さんだけの帰国になった。なので、このお母さんに気を使いながらの、壮行会となりました。

お母さんたちが私たちの労をねぎらって、クルディスタンの手料理をつくってくれました。右はドルマといって、ごはんや肉がぶどうの葉っぱでつつんであります。

神にあれば・・・

毎晩、次の日のタスク表が送られてくる。この日の仕事のメインは食料の買い出しだけれど、一緒に行くパートナーのタティアナは運転をしない。ということは・・・誰が運転をするのか・・と思っていたら、予定表係のヨハナから、「運転手がいないから、運転してくれるかな?」とメッセージが来た。アメリカの運転免許で大丈夫、保険はShevetが入っている、イスラエル人は外見を気にしないので少しくらいぶつけても大丈夫(本当に、きたなくてボロボロの車もたくさん)という。この1週間、パワフルなジャーマンガールズが3人、休暇で旅に出てしまっているため、人手不足がはなはだしい。

ああ、神様どうか、事故のないように助けてください・・と祈り、みんなにも祈ってもらってでかける。スーパーに行って、銀行に行って、パン屋に行く。助手席のタティアナのナビのおかげで、なんとか生きて帰ってこられた。1回目の買い出しのときはまさか自分が運転するなどとは思っていなかったけど、祈って差し出せばなんとかできるものだった。やってみれば、アメリカの運転とそれほど変わる感じもない。イスラエルは案外みんなアグレッシブなので、私が躊躇していると横のタティアナが、「You can GO!」というので、それに従う。Shevetでは何のタスクでも2人組になって行うのはこのせいだ!助け人が与えられていることに本当に感謝!

七週の祭りでエルサレムへ(3)

6月5日(日)は七週の祭り(Shavuot、ペンタコステ、五旬節)の2日目。この日は、エルサレムにあるへブル大学の修士課程で学んでいるゆかこさんにお会いした。ゆかこさんは全く存じ上げなかったのだけど、Shevetのニュースレター(ボランティアが順番で書くもの)に私がレターを書いたところJunkoという名前を見て、「お名前からして日本人の方ですか?」とニュースレターを受け取った方からテキストがあった。東京聖書キリスト教会の牧師夫人の尾山キャシーだった。尾山先生ご夫妻もShevetでボランティアをされていたことがあるとのこと。東京聖書キリスト教会といえば、私も知り合いの方を通してなじみあるところでつながりに感謝しました。ゆかこさんも同教会に行っておられ、そういうわけでご紹介を受けた次第。ゆかこさんと、旧市街にあるChrist Church Jerusalemのテラスでお会いしいろいろと興味深いお話を伺った。そのあと、ゆかこさんと一緒に夕方6時半からペンタコステ礼拝に参加。

Christ ChurchはAnglican(英国国教会)系の教会で、Liturgy(式典)に従っての礼拝・賛美と英国系の英語でのメッセージがあった。ペンタコステ(五旬節)にちなんで聖霊降誕の話だった。使徒1:13の「屋上の部屋」は英語ではThe Upper Roomと呼ばれエルサレムでも観光名所のひとつになっているけど、これはあくまで伝承的なものであり、歴史的な確認はされていない。今回のメッセージは、使徒2:1で「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた」場所は、この「屋上の部屋」ではなく、ほかならぬ神殿であったはずだという内容であった。Messianic Jewの学びでも同様に習ったことがある。七週の祭り(Shavuot、五旬節、ペンタコステ)はユダヤ人にとっては、過ぎ越しの祭り、仮庵の祭りとならんで三大祭りとしてエルサレム神殿巡礼をするものであり、ペンタコステの日の当日に人が神殿以外のところで集まることは考えにくいこと、3,000人以上の人がいるとなれば普通の家ではなくて、この家は「神の家」であるはずだという説明だった。もともとはエドム人でありユダヤ教に改宗しただけで純潔のユダヤ人ではなく、よりにもよってローマ政府から「ユダヤの王」として「指名」されたヘロデ王が改修した神殿、いってみれば神の聖さからはほど遠かった神殿で、人々が集まって求めたとき聖霊がくだった。これが私たちの原点!この教会からすぐそこの神殿の丘、でも今は私たちが獲得できていない丘で!

礼拝のあと、まだ安息日があけず、公共交通機関は夜の9時過ぎまで動かない。タクシーでエルサレム中央駅まで行くと、まだ駅には人一人いない。電車再開後の第一便に乗ってアシュドテまで帰宅。帰ったら夜の11時過ぎ。明日はまた働かなきゃ!

七週の祭りでエルサレムへ(2)

6月4日は七週の祭り(Shavuot、ペンタコスト)の一日目であり、かつ土曜日の安息日でもあった。朝10時にNetivyahというメシアニック(キリストを信じる)シナゴーグで安息日礼拝をし、午後6時半からは七週の祭りの礼拝に参加した。

礼拝はヘブル語だけど、英語の同時通訳あり。イスラエルで生まれた人、全世界からAlliah(アリア―、ユダヤ人としてイスラエルに帰還すること)してきた人、エルサレムを短期間訪れている人など世界中の人がいる。

同じShevetでボランティアしているマルガリータにはエルサレムに住む娘さんがいてここでいつも礼拝しているそうで、シナゴーグでの食事を一緒にさせてもらった。

朝の安息日礼拝では、世代から世代へと神のみことばを引き継いでいくことと神に与えられたものの中から初穂をささげることの大切さが話された。夕方の七週の祭り礼拝では、ユダヤ教のしきたりに習ってルツ記を皆で読んだ。なぜ七週の祭りでルツ記を読むのか・・・。こういうユダヤの習慣の中に、キリスト教にとっての大きな意味を見出すことが多いように思う。いろいろ思いをはせるとき、ユダヤ人も異邦人も全世界をみもとに引き寄せる壮大な神の計画を思う。ナオミはモアブからベツレヘムに帰ってきたものの、子孫を残す希望もなくもはや神の愛を全身で感じることのできないイスラエル、ルツはナオミに自分の国に帰れと言われても、「イスラエルの民が自分の神、イスラエルの神が自分の神(ルツ1:16)」だという異邦人。神はこの異邦人(ルツ)を通して、息絶え絶えになっているイスラエル(ナオミ)を神の民として回復させ、異邦人(ナオミ)をイスラエル(ボアズ)に接ぎ木し、そこからダビデを生み、そしてさらにはメシアなるキリストを生んだ。キリスト教会はこうして生まれたのだ。異邦人ルツが穂を摘むことができ、ユダヤ人ナオミにも食べさせることができたのは、レビ19章9節の「自分の土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで借り尽くしてはならない。収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない」という律法がユダヤ人に与えられていたからでもある。神は全世界を救う計画(創世記12:3)を最初から最後まで立てておられ、着実に計画を進めておられることを思う。イスラエルが特にえらいわけでも、異邦人が特にすぐれているわけでもないのだろう。周り回って神はすべての人を救おうとされているのじゃないかな。私たちクリスチャン、異邦人で接ぎ木された者に課せられている役割を考えないではいられない。

有るものを無い者とするために、この世のとるに足らない者や見下されている者、すなわち無に等しいものを神は選ばれたのです。

肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。

Iコリント1:28,29

七週の祭りが、イスラエルの民がモーセを通して神のことばを受け取った日であり、イエス・キリストの従者がキリストの昇天のあと聖霊を受け取った日であることは、大変に深い意味があるのだろうと思う。

七週の祭りでエルサレムへ(1)

6月4日(土)、6月5日(月)は七週の祭り(ヘブル語でShavuot、別名ベンタコステ、聖霊降誕祭)で金土日と3連休になったので、娘と一緒にエルサレムへ。ユダヤ人は七週の祭りを、モーセがシナイ山でトーラを受け取った日として祝い、クリスチャンは聖霊がキリストの弟子たちに下りた日として祝う。そんな特別な日にエルサレムにいられることを感謝します。

金曜朝、電車でアシュドテからテルアビブ乗り換えでエルサレムに。1時間半。

エルサレムの駅はこの右の写真のような長~いエスカレータが3つ分続く深い地下にあります。

とりあえず、Jaffa GateからCity of Davidまで城壁の上を歩いてみる。

Western Wallで祈ってから旧市街を突っ切って城壁の外へ。あまりに暑くて干上がったので適当にランチができそうなところに入ったら、名前がHillel。1世紀のパリサイ派ユダヤ教には2つの大きな派があって、ひとつがシャマイ派、ひとつがヒレル派と習った。ヒレルの孫がガマリエル(使徒5:34、22:3)でパウロの先生。なんとなくパリサイ派というと律法的でよくないイメージがどうしてもつきまとうもの。当時、パリサイ派とともに、他にもこんな派があった。

サドカイ派(ローマと結託し政治的権力をもつ祭司、上流階級など。この世的)

エッセネ派(聖さを突き詰めるあまり、世間とは決別し独自の隔離社会を形成)

熱心党(神と律法に熱心なのはいいが、その分過激になりがちでテロリスト的な要素あり)

これらと比すれば、律法の順守にこだわり神のことばに従順でありたいと願うパリサイ派は、キリストに一番近いものであったと教わった。律法の遵守にこだわるあまり本末転倒になっているところはあるものの、そういう意味では悔い改めさえすれば神のことばに最も近いひとたちであり、ある意味でもっとも「脈があった」わけである。それゆえキリストは他の派ではなくパリサイ派を集中的に招き、食事を共にし、交わったのだそうだ。交わっても信じないかたくなな人がいたため、パリサイ人はかたくな・・と思いがちだが、他の派はそもそも望みがなかったので話にものぼらなかったともいえる。実際、パリサイ人の中からはのちに信じる人が起こされている(使徒15:5)。前述のとおり、パウロがパリサイ派である。また、安息日ごとにシナゴーグで教え、人のためにある律法(神を愛するため、兄弟を愛するため)においては忠実であろうとしたイエス自身が、生き様としては最もパリサイ的であったという話もきいたことがある。だからパリサイ人もなんだか身近に感じてきたこのごろ。そんなことを考えながら、Cafe HillelでイスラエルのビールGoldstarと一緒Hillel Sandwichをオーダーしてみました。すごくおいしかった!

泊まるのは、城壁の中のAirbnb。ローカルの人が暮らしている場所にある、石でできた部屋です。外はがんがん暑いのに、部屋はクーラーなしでもすごく涼しい。感動!

長い一日

今日はLilyと一緒にSheba Hospitalに行き、13時間を過ごしました。クルディスタンから来たBrwaという赤ちゃんの手術があり8時間に及んだうえ、術後問題が起きその後も対処が必要で、長い一日に。Brwaのお母さんと私で手術室の前で待っている間に、同じクルディスタンから来ているもう一人の赤ちゃんが、ICUで1か月格闘したあとで息を引きとりました。生と死が表裏一体の重い一日。

大きなベットに小さな体。心臓のところが縦に切られていて、頭にも体にもたくさんのチューブがついていて、目を半分あけて寝ているBrwa。私も母親なので、こんな姿で戦っている小さな我が子を見るお母さんの気持ちが痛いほどわかる。私はクルド語がわからないので、彼女を言葉でなぐさめることができない。こんな状況ならふつう父親も一緒にいるのだろうが、一人分の付き添いしか財務的にサポートがなされないため、母親たちは一人で言葉のわからない外国にきてこどもに付き添わなければならない。病院ではただただ待っていなければならないことが多い。長い手術が終わるまで待ち、ドクターの報告を待ち、やっと我が子に会えるのを待ち、そのあとまた問題が起きてCTスキャンを待ち、結果が出るのを待ち・・・。何もできないけれどとにかく一緒にいて横で祈る。彼女が床につっぷしてアラーに祈った時は、私も床につっぷして神に祈った。彼女が泣きながらアラーの名を呼び求めた時は、私も彼女の肩を抱きながら心の中で神の名を呼び求めた。ICUではキッパをかぶったユダヤ人のドクターがBrwaを助けるべく懸命に働いている。それを見ながら、ふたりで祈った。

アシュドテのShebetの家に戻った時にはすでに夜の10時過ぎ。ドアを開けたら、リビングでAmilieが待っていてくれ、近寄ってハグしてくれた。「長い一日だったね。疲れたでしょう。」18歳のAmilieにハグされながら思った。神は人をなぐさめるためにあえて人を使われる。主のみ名はほむべきかな。

ほんものの神

病院で手術が終わるのを待っている間、Breaにいろいろ話を聞いた。彼女はイスラムについての本を2冊読んだところで、今はコーランを読んでいる。聞いたことをちょっとまとめてみます。これは、Breaが学んだことを私がまた聞きしてそれをまとめているので、事実とずれているところも多いかもしれません。その点はお心おきください。

  • ある人々は、イスラムのアラーとクリスチャンの神は一緒だと言う。どちらもつまるところ、アブラハムの神である。一方で全く違う神だという人もいる。アラーというとなんか全く違う神のようだけど、アラーは単に神を意味するアラビア語。
  • イスラム教を信じる人は旧約聖書も新約聖書も読み、とくにトーラ(モーセ五書)、詩編と福音書が参照される。
  • イスラム教を信じる人は旧約聖書の預言者たちとキリストも信じている。キリストはメシアとして高く評価されている。
  • イスラムでは、後に書かれたものが先に書かれたものより重んじられる。もしも内容的に相いれない部分があれば、後に書かれたものが取って代わる。(キリスト教では、聖書はすべて神の霊感によって書かれ、聖書は神のことばとして一つと理解する)
  • イスラムの書物の中では、コーランが最高位にあり、コーランはむやみに外国語に訳されるべきものではなく、あくまでアラビア語で読まれるべきだと考えられる。(キリスト教では、聖書の一部が翻訳されている言語も含めるなら、3,000語を超える言葉に翻訳されている)
  • イスラムでは、旧約聖書と新約聖書は、それぞれユダヤ人とクリスチャンによって書き換えられ、預言者やキリストが教えたことがそのままの形で保存されていないという考え方もある。
  • だれでもイスラム教に改宗できる。
  • コーランにも世紀末預言があり、キリストの再臨も言及される一方でモハメッドの再臨も言及されている。
  • 一部のイスラム教信者では、アブラハムのささげたいけにえはイサクではなくてイシュマエルだったという考え方もある。

BreaはShevetで働いている間に、お子さんが亡くなったばかりの母親に、家族が「Alhamdulillah(神に賛美を)」と早く言え言えと強要されるところを目撃したことがあるそうで、イスラムではなんでも神のみこころであると受け入れることが信仰であり、嘆く余裕も与えてもらえないのは残酷だと思ったと語っていた。その意味で、イスラムの神は決して疑ってはならない権威ある高い存在であり、クリスチャンのように近くにありなぐさめてくれるやさしい神というのとは対照的だと感じたとも言っていた。一方で、アラーもあわれにみあふれ恵み深い神だと語る人もいる、

「イスラムとキリスト教(とユダヤ教)の神は同じか」という質問は意味のあるものだろうかとたまに思う。神は、「私はある」と言われる方であり、昔おられ、今おられ、やがて来られる方。アルファでありオメガである方である。すべてを超越した方である。私たちは神を、神による啓示によって少しずつ知る。聖書をひとまわり読んだから、神がどういう方がわかった!というわけにはいかない。その意味で、同じクリスチャンで同じ教会に通う人の中にも、神がどういうお方かについてはかなり個人差があるのではないだろうか。神は神である。私たちは求めるとき豊かに、それでも神のほんの一部分を少しずつ経験していく。それはこの世での旅路でずっと続くプロセスであり、すべてわかりきることなどないこととも思う。

あなたがたは自分自身に十分気をつけなさい。主がホレブで火の中からあなたがたに語られた日に、あなたがたは何の姿もみなかったからである。 

申命記4:15

ホレブの山でトーラを受け取った時、イスラエルは神のなんの姿も見なかった。キリストの従者たちはエルサレムで聖霊を受け取り、その多くは十字架刑の前のキリストに会っていたが、それでもすべてを分かっているのとはほど遠かった。私たちは「その日」がくるまで、神と顔と顔を合わせて会うことはない。ただ、神を求め続けることができるだけだ。

しかしそこから、あなたがたがあなたの神、主を探し求め、心を尽くし、いのちを尽くして求めるとき、あなたは主にお会いする。 

申命記4:29

「私は本当の神を知っている。あなたの神はほんものではない。」というのは、たいへんに高ぶったことではないだろうか。

© 2024 Hashem Gathers

Theme by Anders Noren上へ ↑

jaJapanese