ここアシュドテは、アシュケロン、エクロン、ガテ、ガザとならんでペリシテの5大都市のうちの一つであり、今でこそ人口の90%以上がユダヤ人であるが、古くはペリシテの地であった。

アシュドテは聖書でも何回か言及される土地だけれど、一番印象深いのは第一サムエル記6章。

ペリシテ人は神の箱を奪って、エベン・エゼルからアシュドテまで運んできた。それからペリシテ人は神の箱を取り、ダゴン神殿に運んできて、ダゴンの傍らに置いた。アシュドテの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、なんと、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、元の場所に戻した。 

第一サムエル記5:1-3

神にあって一致できずペリシテ人に打ち負かされたイスラエルは、神の契約の箱をペリシテ人に奪われてしまう。ペリシテ人はその契約の箱を、ここアシュドテまで運んできたとある。ダゴンはもちろんアシュドテの偶像であり、創造主なるイスラエルの神とは全く相いれないものであった。このダゴンの神殿がどこであったのか、Google検索して、人にも聞いてみたけど、どうもそれはわかっていないようだ。どこかはわからなけど、でも神の契約の箱がアシュドテにあった!今、歩いているところを神の箱が通ったかもしれない!

神の契約の箱には、モーセが受けとった十戒のふたつの石板(トーラの象徴)、マナの入ったつぼ、アロンの杖が入っており、まさに神の臨在そのものである。霊的に脆弱になってしまったイスラエルは神の箱をペリシテに奪われてしまったが、この神の箱はあくまでイスラエルの神の臨在でありペリシテの地にあるべきものではなく、神が自らイスラエルの地に戻られる場面がある。

神の箱はダゴンの神殿でダゴンを倒し、ペリシテの人々を腫物や恐慌でうったので、ペリシテの人は神の箱の扱いに困り、主の箱を雌牛にひかせた車に乗せ、ペリシテとイスラエルの国境で、神の箱がどう動くかを傍観する場面。神の箱の車がペリシテ側にとどまるなら腫物や恐慌は偶然のことで気にすることはない、一方でもしイスラエル側に戻るなら腫物や恐慌はイスラエルの神が起こしたことで、箱はイスラエルに戻さねば大変なことになる。さてどうなるかという場面である。

雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一本の大路をまっすぐに進んだ。鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後について行った。ベテ・シェメシュの人たちは、谷間で小麦の借り入れをしていたが、目を上げると、神の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に来て、そこにとどまった。そこには大きな石があった。人々は、車の木を割り、雌牛を全勝のささげ物として主に捧げた。 

第一サムエル記6:12-14

今はどこにあるかわからない神の箱だけれど、神は今も神の民とともにありたいと願っておられるのだと思う。「その日」が来るまで、ずっと。

なお、このベテ・シェメシュで、神の箱が置かれたのではないかと思われる大きな石が見つかったという記事を読んだ!今回行ってみたかったけど、ちょっと日程的にきついのでまた次回!

ご興味あればどうぞ。

Stone slab unearthed near Jerusalem suggests connection to Ark of the Covenant

日本語(Google Translate訳)

The Location of Placing the Ark of the Covenant in Beth-Shemesh Discovered?

日本語(Google Translate訳)