異邦人と律法

Shevet Achimは聖書のみことばをはじめから終わりまで信じる人で運営されている。クリスチャンと言ってしまえば簡単だけど、いろんな国からのクリスチャン、いろんな宗派を経てきた人がいるし、自らをメシアニック・ジュー(キリストをメシアと信じるユダヤ人)という人もいる。それぞれ聖書を真剣に読み探し求めている人ばかり。 ある安息日が始まる前の食事のテーブルセッティングの奉仕が私の番で、私がキャンドルを灯したら、メシアニック・ジューのマルガリータが「ちゃんと祝福した?」という。「祝福って?」と聞いたら、マルガリータが安息日の食事のキャンドルを点けるときの祝福を教えてくれた(ヘブル語で)。そして、そのキャンドルは消してはいけない(自ら消えるまでそのままにしておく)という。食事が終わってテーブルをすべて片づけ終わっても、キャンドルはまだ燃えている。もうみんなテーブルからいなくなっちゃたし、キャンドルが燃え終わるまで私がそこにいるのはいやだし、だからといって燃えているキャンドルをそのままにしていなくなってもよいものか。福音派クリスチャンのブリアに、「どうしよう、消さないほうがいい?」と聞いてみると、彼女は「そのほうがいいかもだけど、私自身はユダヤのしきたりはあんまり気にしない」という。私はどうだろう。 私はユダヤのしきたりは全く気にしないということはない。どちらかというと気にかけるというか、ユダヤの例祭や律法、ユダヤ人が習慣としてやっているすべてのことには、実はキリストにかかわる深い啓示が隠れていることが常で、クリスチャンにとっても無関係ではないことを知り、ぜひもっと学びたいと思っている。ただ、律法を守らないと神に受け入れられないとか、律法を守ることで神に近づけるとかというようには思わない(実際、クリスチャンの中に、「ユダヤ人たちは律法を守ることで救われるとか、律法を守ることで天国に行けると考えている」というような話になることがあるがそうではないらしい)。さて、どうするか・・と考えて、結局面倒なので安全も考えてキャンドルの灯は吹き消してテーブルを離れた。 今日の朝(最後の朝の賛美と祈りのとき)に、マルガリータと律法のことで(よい意味での)議論になった。私が豚肉を食べるといったら、マルガリータはびっくりする。「神が汚れているという食べ物は今も昔も汚れている」という。使徒行伝で、異邦人にも神の霊が下るのを見たペテロのことばを引き合いにだして、異邦人は4つのもの(偶像に供えて汚れた物、不品行、絞め殺した物、血)を避ける以外には、食物規定などの律法からは解放されているのではないかと言ってみた。 そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。 ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。 使徒行伝15:19-20 そうしたら、マルガリータはその次の句を引用してきた。 昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸教会で読まれているからです。 […]

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やっぱユダヤ人に見えない?

Shevetでの奉仕もあと残すところ3日。今日は娘と二人で食料買い出し。買い出しの奉仕ももう5回目くらいかな。運転もずいぶんと慣れてきた。Shevetでの奉仕はいつも二人組。最初は慣れた人に教わりながら、見よう見まねでやり方を覚えていく。今回は娘と二人だけで、他に頼る人はいない。今でもヘブル語は話せないしわからないことだらけだけど、なんとかなるという守りを感じながら進んでいく力のようなものは成長したように思う。 いつもと同じように車を停め、カートをとって(5シュケル玉を入れてカートをとり、使い終わってカートを戻すと5シュケル玉が戻ってくるしくみ)お店の中に入ろうとしたら、ガードの人に止められた!いつもお店のところにセキュリティみたいな人が立っているのだけど、今までドイツ人、アメリカ人、コロンビア人と一緒に来たときは一切止められたことがなかったので、今回もふつうに通り過ぎようとしたら、娘と私(どう見てもアジア人)に止まれという。バッグの中を見せろといわれ(ヘブル語だったけど、身振り手振りで)中を見せる。難なく入れてもらったけど、そこで考えた。 ユダヤ人というのは1948年までは自分の国を持たず、そもそもディアスポラで世界中にちりぢりばらばらになっている人がだんだんと帰還して国ができあがっているので、ある意味でいろんな国の文化や言語にフレンドリーというかんじがある。帰還したばかりならヘブル語ができないこともあるわけで、ヘブル語ができないから生活ができないということもない。ユダヤ人でなく、アラブ系の人口も20% いる。いろんな人種のひとがいてオリジナルの中近東系、白人系、南米系、南アフリカ系などなどなんでもあり。だからとにかくいろんな顔の人がいる。だけど、アジア系ユダヤ人というのはいないのかな?エルサレムではアジア人も見かけたけど、アシュドテでは私たち二人以外のアジア人に会ったことはない。 Wikipedia情報だけど、ディアスポラでは、西アジアはもちろんのことインドあたりまではユダヤ人が広がったそうだけど、東アジアにはやはりユダヤ人移民は少なかったらしい。ただ、全くないということではなく、中国、韓国、日本にも少なからずのユダヤ人もいるそうで、日本では東京や神戸を中心に数百世帯が住んでいるそうだ。だけど、他の国のように現地化して日本人となりながらも、実は血統的にユダヤ人という人はほとんどいないのでしょうね。 まあ、入り口チェックにはちょっと寂しい気がしながらも、とにもかくにも3日分の買い物(1,400シュケル=420ドルくらい)が終わりました。これでこの買い物の奉仕も最後です。

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そう遠くはないのかも

手術をしたばかりの我が子に付き添うお母さんが、まだ麻酔でもうろうとしている子の顔をなでながら、「コルバーニ、コルバーニ」と何度も繰り返している。アラビア語だから私は何を言っているのか何もわからないのだけど、このコルバーニという言葉だけはもしかしたらヘブル語のコルバンではないかと思って聞いてみた。 ヘブル語のコルバンは「神へのささげ物、いけにえ」のことだけど、もともとも原語の意味は「神に近づけられるもの、引き寄せられるもの」のような意味。レビ記にあるように、いけにえの上に手を置くことで自分を動物に転嫁し、自分の代わりにいけにえを捧げ、自分が神に近いものとされるようにと祈りをもって行う。いけにえは神に近づくためのもの。 それでアラビア語の「コルバーニはいったいなに?」と聞いてみたら、やはり「犠牲、いけにえ」のことだという。母は(父もかな)子どもが大変な目にあっているときにこの表現をよく使うそうで、「自分があなたの代わりに犠牲になりたい」といって愛を表現するのだそうだ。へえ、似た言葉なんだね。 ある時、子どもの手術後お医者さんに質問をするお母さんのそばで、Google Translateを使ってアラビア語→英語で翻訳を助けていたら、「割礼は受けてもよいか?」という質問だったのでびっくりしたことがある。私はアラブ人も割礼を受けることを知らなかった。へえ、とたまげた顔をしている私を横に、キッパをかぶったユダヤ人のお医者さんは、「薬のせいで血が固まらないことがあるから、今はちょっと待ってください」と当然のことのように対応していた。へえ、割礼もするんだ。 イスラエルでは、ユダヤ系の人とアラブ系の人はその恰好ですぐ見分けがつくことが多い。Shevetのお手伝いしているガザやイラク、クルディスタンから来るお母さんは、アラブのヒジブ(被り物)をしている人がいるとそそくさと近寄ってアラビア語で話しかける。名前もキーで、ドクターがモハメッドとかいう名前だったらアラビア語が通じるということでいきなり喜ぶ。そういうわけで、案外みんなユダヤ系かアラブ系かは常に意識をして、区別をしながら生きているような感じがする(外部者としての観察だけど)。 イスラエルではすべての標識はヘブル語、アラビア語、英語の3か国語で表示されている。文字だけ見ているとまったく違う原語。だけれど、ユダヤ人でアラビア語を独学でマスターしたというモーセに聞いてみたら、実はユダヤ語とアラビア語はすごく似ているところが多いという。ヘブル語もアラブ語もどちらもセム語系であり、文字システムは違うが、文法や単語においてはかなり類似しているという。ぱっと聞いただけでは全く理解できないが、いったん類似点がわかってくるとかなり効率的に学び合える言語らしい。 かなり唐突ですが、日本語と韓国語を思った。たとえばですけど、以下の韓国語を見ても日本人には全く異質のものとしか映らない。 기획재정부는 경제 […]

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ユダヤ人の家にあるもの (3)

ボンブ・シェルター(防爆部屋?)。1951年だかの法律ができてから、各家庭(場合によっては何世帯かで共有もOKときいた)にはボンブ・シェルターをつくることが義務付けられた。Shevetの借りている家のシェルターはここ。キッチン横のパントリー(食糧倉庫)。 ミサイルが飛んできてサイレンがなったらここに逃げることになっている。部屋は金属の壁で囲まれ、ドアも金属。 家にいるときならいいけど、外で散歩しているときサイレンがなったらどうするの?と聞いてみたけど、どうやらコミュニティーのボンブ・シェルターというのがあるらしいけど、どこにあるのか誰も知らない。「サイレンはほとんどならない。イスラエルにはアイアンドームがあって、ミサイルが飛んできても上空で追撃爆破させて地上にはこないからいたって安心・・」というのがみんなが言う言葉。 ガザからハマスが発射するミサイルは約14%が失敗でガザに落ちる・・イスラエル側に飛んでくるミサイルのうち90%はアイアンドームが上空で撃沈させ、残りはそもそも居住地ではない荒野に落ちる・・というのが安心の裏にあるロジックらしい。ただ、まれには居住地にミサイルが落ちて死者が出ることもあるので完全ではない。アメリカにいて無差別の銃撃で命を落とすリスクと同じようなかんじなのかな(いや、昨今ではアメリカの銃撃の方がリスクが高いかもしれない!)。

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小さないのち

ガザから入院し、もう2か月もICUにいるソマイアという赤ちゃんがいる。手術が必要だけれど、小さすぎて手術ができない。呼吸器につながれながら体重が増えるのを待ちつつ早2か月。私がソマイアを前回訪問したとき、目を開けているけれどまったく生命のちからを感じさせないその姿があまりにもショックで、祈りの輪のニュースレター報告のために必要な写真をとってそそくさと部屋を出てきた。何もできない無力感に押しのめされて。 その夜に、ニュースレターを受け取ったある人から、「ただ手を握ってあげるだけ、しずかに言葉をささやくだけでも、大きな力になることをどうか忘れないでほしい」という内容の励ましメッセージがあった。それを読んで力を新たにし、今日ソマイアのところにいったらぜひ近づいてよしよししてあげようと決心をして部屋に入った。今日は、マルガリータが一緒にいたのも心強かった。彼女は祈りの人、いつもいつも祈っている人、来る車の中でも祈っていた。二人でソマイアの足を静かになでながら、マルガリータはスペイン語で、私は日本語で心を込めて祈った。その時起こったことを私は一生忘れないだろう。ソマイアがあちこち見まわすように目を動かし、口に入れられていたおしゃぶりを吸うように口を動かし、少しだけだけれど腕も動かした。ベットの中にあったのは、まさにいのちだった。 主よ、あなたがソマイヤを彼女の母の胎の中で織りあげ、あなたがソマイヤの鼻にいのちの息を吹き込まれました。どうか、あなたがソマイアに最大限のあわれみを注いでくださり、この小さないのちをよみがえらせてくださいますように。

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庭掃除の一日

今日は庭掃除の日。Shevetは数か月までテルアビブの近郊ジャファにあったのだけど、最近ここアシュドテに引っ越しました。なので、ガレージに荷物があふれていたり、整理が終わっていなかったりで、日々順繰りでその片づけをしています。今日はほったらかしで草ぼうぼう、枯れ葉がたまった庭の掃除を5人でしました。 ゴミ箱いっぱいで押し込んでいるところ。。こういう仕事しているけど、ふたりともスカートなのがおわかり?Shevetでは、お手伝いするモスリムの人たちの考え方を尊重してドレスコードがあり、そでなし、首回りが広い物、ぴっちりした服、腰がかくれないシャツなどがNGで、それを知らずに持ってきた服の半分はそぐわず、結局Shevetに寄付された服の中から合いそうなものをひっぱりだして着ています。 こんなにきれいになりましたよ。暑い、暑い。。。

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地中海!

この1週間、パワフルジャーマンガールズ3人がバケーションをとっているため、本当に忙しい日々だった。疲れ果てて金曜日の昨日は一日中寝ていた。土曜日の今日はエネルギーも回復し、Shevetの自転車を借りてチーズをはさんだピタとスイカとブドウをもって海に向かう。安息日の今日、街ではシナゴーグに向かうユダヤ人たち。安息日で車は乗れないので、みんな歩いている。 30分で地中海! 水は透き通っていて、カリフォルニアの海よりずっとあたたかい。海にはたくさん車が泊まっていたから、きっとこれらの人々は安息日を守らない人たちらしい。 秋の終わり(11月)くらいまでは乾季で、少し自転車をこぐだけでも喉がかぴかぴ。水があるかないかは、本当に死活問題である。みことばが身に染みる。。。 イエスは答えられた。「この水(井戸の水)を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」 ヨハネによる福音書4:13-14

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謎のショッピングモール

Shevetの近くのショッピングモールが私には謎だった。アメリカのショッピングモールとちがい入り口を見つけるのが難しい。はじめて行ったとき、近づいても壁しかないので、きっとぐるっと回ったら入り口があるかと思うと、そこも壁。 さらに向こうに行けば入り口が・・と期待するも、結局4面とも全部壁。 モールに入るには、一つのコーナーにあるすごく小さな通路から(そこにガードが立っている)入るしかない、出るのもそこ。まるで入ってもらいたくないようなモール。いったん中に入れば別世界で、お店、レストラン、映画館、広場など楽しいスペースが広がっている。それが最近、ちょっと謎が解けた気がしたのがエルサレムに行ったとき。 エルサレムの城壁の中は旧市街で教会、シナゴーグ、モスク、お店、学校がある。あのショッピングモールは城壁型なのではないかとふと思った。

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ユダヤ人の家にあるもの(2)

これはトーラの巻物、というか多分トーラの巻物のケースといったほうがいいかもしれない。前のオーナーが置いていったというこれ、おそらく中には本物のトーラは入っていないだろう。Google検索してみたら、トーラの巻物は$30,000から$100,000(すべて手書きで写される)だそう。 トーラ(モーセ五書、旧約聖書の最初の5つの書;創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)はユダヤ人の生活の中心にある。クリスチャンとして、はじめはトーラとか律法とかいうとすごく固く縛られる感じがあってなんだかコワイがイメージあったものだけど、だんだんへブル的観点を教わって聖書を読むうちにユダヤ人がどんなにトーラを身近にいとおしんでいるかが感じられるようになった。ほとんど、クリスチャンがキリストのことを思うような感じかもしれない。彼らはトーラを決められたスケジュールによって読んでいく。一年でトーラ(創世記から始まり申命記の最後まで)読み終えるようにスケジュールが組まれている。秋の祭りで7日間続く仮庵の祭りの一番最後にあるSimchat Torahという日に、この一年のサイクルが終わり、読み終えるなりすぐ同じ日に創世記の1章に戻り新しいサイクルを始める。仮庵の祭りは、ユダヤの3大祭りのひとつで、7日間の終わりの日にはイエス様が下のことばを語られている日。 祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた、「だれでも渇いているなら、わたしのところにきて飲みなさい。 ヨハネの福音書7:37 仮庵の祭りはクリスチャンのとっても大きな大きな意味がある祭り。ご興味があればこちらの記事を。 Simchat Torahには、あのひげもじゃでまじめそうに見えるユダヤ人のおじさんたちが、トーラの巻物を抱きかかえながら、うれしそうに楽しそうに踊りはねる。こんなかんじで。見ているとほほえましい。日本人なら誰でも知っている「マイム、マイム(「水」の意味で、乾いたら存分に飲めるいのちの水!)は、この踊りのためにつくられたもの。詳しくはこちらを。 神を愛するユダヤ人にとって、トーラは愛しくて愛おしくてたまらない神のことばであり、生活のあちこちで親しまれているように見える。たとえば、これは散歩のとき見つけた近所の学校の校庭の壁画。シナゴーグ、学校などにはトーラが描かれているのが多い。 一番上の開かれた巻物がトーラ。ワインにパン、エトログやルラーブ(仮庵の祭りに使われる)、角笛、オリーブ、メノラー(燭台)、エルサレムの城壁、ターリット(祈りのショール)、ザクロとすべて聖書のもの。

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さよならパーティ

毎週、新しくやってくる家族がいれば、自国に帰っていく家族もいる。Shevetにやってくるこどもたちはみな心臓に病気があるけど、症状はまちまちで、すぐに帰る子もいれば数か月いる子もいる。 今回は、4家族が帰国。4人中3人の子どもたちは元気になって帰国するので(さみしいなりにも)うれしいことだけれど、一人は残念なことに闘病のすえ亡くなってしまった。赤ちゃんの遺体はエルサレムのムスリム墓地に葬り、お母さんだけの帰国になった。なので、このお母さんに気を使いながらの、壮行会となりました。 お母さんたちが私たちの労をねぎらって、クルディスタンの手料理をつくってくれました。右はドルマといって、ごはんや肉がぶどうの葉っぱでつつんであります。

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神にあれば・・・

毎晩、次の日のタスク表が送られてくる。この日の仕事のメインは食料の買い出しだけれど、一緒に行くパートナーのタティアナは運転をしない。ということは・・・誰が運転をするのか・・と思っていたら、予定表係のヨハナから、「運転手がいないから、運転してくれるかな?」とメッセージが来た。アメリカの運転免許で大丈夫、保険はShevetが入っている、イスラエル人は外見を気にしないので少しくらいぶつけても大丈夫(本当に、きたなくてボロボロの車もたくさん)という。この1週間、パワフルなジャーマンガールズが3人、休暇で旅に出てしまっているため、人手不足がはなはだしい。 ああ、神様どうか、事故のないように助けてください・・と祈り、みんなにも祈ってもらってでかける。スーパーに行って、銀行に行って、パン屋に行く。助手席のタティアナのナビのおかげで、なんとか生きて帰ってこられた。1回目の買い出しのときはまさか自分が運転するなどとは思っていなかったけど、祈って差し出せばなんとかできるものだった。やってみれば、アメリカの運転とそれほど変わる感じもない。イスラエルは案外みんなアグレッシブなので、私が躊躇していると横のタティアナが、「You can GO!」というので、それに従う。Shevetでは何のタスクでも2人組になって行うのはこのせいだ!助け人が与えられていることに本当に感謝!

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長い一日

今日はLilyと一緒にSheba Hospitalに行き、13時間を過ごしました。クルディスタンから来たBrwaという赤ちゃんの手術があり8時間に及んだうえ、術後問題が起きその後も対処が必要で、長い一日に。Brwaのお母さんと私で手術室の前で待っている間に、同じクルディスタンから来ているもう一人の赤ちゃんが、ICUで1か月格闘したあとで息を引きとりました。生と死が表裏一体の重い一日。 大きなベットに小さな体。心臓のところが縦に切られていて、頭にも体にもたくさんのチューブがついていて、目を半分あけて寝ているBrwa。私も母親なので、こんな姿で戦っている小さな我が子を見るお母さんの気持ちが痛いほどわかる。私はクルド語がわからないので、彼女を言葉でなぐさめることができない。こんな状況ならふつう父親も一緒にいるのだろうが、一人分の付き添いしか財務的にサポートがなされないため、母親たちは一人で言葉のわからない外国にきてこどもに付き添わなければならない。病院ではただただ待っていなければならないことが多い。長い手術が終わるまで待ち、ドクターの報告を待ち、やっと我が子に会えるのを待ち、そのあとまた問題が起きてCTスキャンを待ち、結果が出るのを待ち・・・。何もできないけれどとにかく一緒にいて横で祈る。彼女が床につっぷしてアラーに祈った時は、私も床につっぷして神に祈った。彼女が泣きながらアラーの名を呼び求めた時は、私も彼女の肩を抱きながら心の中で神の名を呼び求めた。ICUではキッパをかぶったユダヤ人のドクターがBrwaを助けるべく懸命に働いている。それを見ながら、ふたりで祈った。 アシュドテのShebetの家に戻った時にはすでに夜の10時過ぎ。ドアを開けたら、リビングでAmilieが待っていてくれ、近寄ってハグしてくれた。「長い一日だったね。疲れたでしょう。」18歳のAmilieにハグされながら思った。神は人をなぐさめるためにあえて人を使われる。主のみ名はほむべきかな。

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私には、自分のしていることがわかりません

今日はガザからの赤ちゃんとおばあちゃん(前にも書いたけど、年を取った女性のほうがガザからイスラエルへのエントリー許可が下りやすいので)に付き添って、シェバホスピタルに行きました。付き添いとして何をしなければならないかあらかじめ聞かされて「できる?」と聞かれたら、絶対「できません」と答えたと思う。でもShevetでは聞かれない。「はい、この人に付き添って、この書類をもって1階に行って、ドクターに会ってきて」と言われて、車の中でば~っといろいろ教えられて、とりあえずよくからなくても行くってかんじ。 アメリカから来たばかりの英語と日本語しかできない私が、ヘブル語の病院にアラビア語しかわからない人を連れていく・・。病院のしくみもよくわからず、英語ができる人があちこちにいるものの、「Go to Dr. Berger’s office」と言われても、ドクターのオフィスのネームプレートはこんなかんじ(Dr. Bergerと書いてある)。 ドクターとガザのおばあちゃんとは、ヘブル語とアラビア語で話が通じず、Google Translateでも埒があかないので、結局Moshe(モーセ)というShevetの知り合いに電話をかけて通訳してもらう。ヘブル語とアラビア語が飛び交うなか、私は何もわからない。最後に、ドクターから血液検査が必要だと英語で指示され、受付でアポをとり血液検査に行くも、そこに行ったら「これとこれとこれが手配されていない」と言われ、それが何かもわからないけど(下のチェックマークのヘブル語)、その紙をもってまた受付へ。手配しなおしてもらって血液検査へ。 ガザのおばあちゃんにも何が起こっているか説明しなくてはならない。Google […]

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神のことばを委ねられた人々

これはカップケーキ。Amilieが焼いたカップケーキ。これは、お隣のユダヤ人のご家族からもらったお菓子へのお返し。なぜお菓子をもらったかというと、安息日に冷蔵庫が開けられなくて、Amilieが冷蔵庫のライトを消してあげたから。 安息日には火を点けること(キャンドルも電気のライトもなんでも)はしてはならないしごとのひとつなのだけど、冷蔵庫のドアを開けてライトが自動的につくのもそのうちにカウントされるのだという。なので、ふつうは安息日が始まる前に冷蔵庫のライトを消しておくのだが、今回はうっかりわすれてしまって、安息日が始まったら冷蔵庫が開けられない!何も食べられない! となったわけだそうだ。 そういう思いをして律法を守っているユダヤ人の人々、神のことばを委ねられた人々に敬意を表したいと思った。 それでは、ユダヤ人のすぐれている点は何ですか。割礼に何の益があるのですか。 あらゆる点から見て、それは大いにあります。第一に、彼らは神のことばを委ねられました。 ローマ人への手紙3:1-2

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寄り添う

Shevetでの奉仕は日曜から木曜までの各自のスケジュールで動いているけれど、それでも人のいのちがかかわる奉仕。急な様態の変化や手術など、いつ対応が必要かはわからない。何かあればすぐ動く、これがShevetでの奉仕。 週末の夜、夕飯を食べているときに病院から連絡があった。入院しているRachelの容体が悪化したのでECMO(重症呼吸不全患者または重症心不全患者に対して使用される生命維持装置)を使うという判断。ECMOはほぼ最終措置で、これにつながれれば回復できるか亡くなるかがフィフティ・フィフティだという。だから付き添うお母さんにとっては大変な重荷。 私たちは医者や看護婦ではないから病院に行ったからといって何かお手伝いができるわけではない。だけどただ横にいて付き添うことはできる。「私は今から行くけど、だれか一緒に行きたい人はいる?」と聞かれ、私は正直1週間のしごとで疲れ果てていたので「ほかに行く人がいるなら行きたくない」と言った。でもかならず「行きたい」という人もいて、BreaとJoanneで行くことに。こういうとき無理にでなく進んでやりたい人がいるというのが、Shevetのすごいところだと思う。「関係」があるからだと思う。ただそこにいる、寄り添うことの力。

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若い力

日曜から木曜まで働き、金・土がお休みのイスラエルでは木曜の夜は週末気分。ジャーマンガールズとももは、今週末はエルサレム方面に遊びにいくことに。私も一応誘ってもらったけど、やっぱ20代と50代は体力的にあまりに違う。とくに昼間に、大きな荷物を1階から3階の屋根裏部屋へ運ぶしごとをしたため、夕方にはへろへろ。 若い子たちは笑顔で出発していきました。どうやら今頃、死海あたりで浮いているみたい。神様若い力をありがとう!

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割礼されていない唇

誰でもキリストに従って生きている人なら、人生でたいせつなテーマ聖句というようなものがあるのではないでしょうか。娘の場合は、出エジプト記の6:12です。 どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか。しかも、わたしは口べたなのです。  出エジプト6:12(新改訳) 娘は決して口がたつ人ではない。新しく会う人や新しい環境になれるには時間がかかるタイプ。ここShevetでの生活ももちろんそういう意味でチャレンジング。こういう状況にあるとき、いつもこの聖句に戻ってきます。神様は私たちひとりひとりに長所と短所を絶妙に組み合わせ、神の目にあって完全につくられた。神様が私たちをお使いになるときには、どうやってお使いになるかをすでにはっきりと計画されておられ、自分がどんなに足りないように思っても、求めながら一歩を踏み出す時、ゆたかに助けそれをなしてくださる。。。 エジプトで奴隷だったイスラエルの人々をエジプトから導き出した(出エジプト)偉大なリーダー・モーセでさえ、神様が彼をリーダーにしようとしたとき「どうして自分のような口べたがそんなことができるか」と神様に訴えている。英語のNew Living Translationでは「うまく話せない者」、New American Standard Bibleでは「スピーチに技術のない者」というような表現。 […]

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シェバ・ホスピタル

今日はブリアとシェバ・ホスピタルへ。シェバ・ホスピタルはテルアビブにある大病院で、Shevetと契約をしていてShevetが連れてくる病気のこどもたちに手術をしてくれるところ。今日は、カーディスタンから来たLalaが緊急手術をすることになり、朝7時にShevetを出発して病院へ向かう。アシュドテからテルアビブの高速はアメリカのフリーウェイみたいなかんじで、朝のラッシュもちゃんとあります。。。 Lalaのお母さんは英語が話せた!クルディスタンの人としては珍しいことだと聞いた。手術の間お母さんに付き添うというのが私のしごとだけど、彼女はそれほど心配や不安がない様子で、自由な会話を楽しんだ。「どこで英語を学んだの?」と聞くと、「映画」という。彼女は大学で土木工学を学んだそうで、その時の教科書が全部英語だったので単語はかなりそこで吸収したそうだけど、会話の英語は映画を見て覚えたそう。とくにLord of the Ringsと The Hobbitsの大大ファンだそうで、目を輝かせて教えてくれた。それから、自分の住むクルディスタンという「国」がどんなに美しく、すばらしく、平和なところかを語ってくれた。あんなふうに祖国のことを語れるっていいなと思った。 クルディスタンは実際は「国」ではなく、イラク、イラン、トルコ、シリアにまたがる自治領域です。これら4国のどれもがクルディスタンを独立国とはみとめておらず。Lalaの家族はイラクのクルディスタンに住んでいて、Lalaのお母さんはクルディスタン自治政府の統治のしかたや政府の大統領(と呼ぶのかなpresidentと言っていた)のことが大好きなのが語り口調からすごくわかる。主要民族はクルド人(彼女はクルド人)ではあるものの、実はクルディスタンは来るもの拒まずの他民族、多宗教、多言語国なのだそうだ。それぞれの人が尊重され、平等に取り扱われているそうで、そこがすばらしいところだという。イラクの中にあるなどと聞けば、よく知らない私など「安全は大丈夫?」などと思ってしまうけど、クルディスタンは大変に平和で、よく「中東の秘宝」とも呼ばれているようだ。こちらはクルディスタンの紹介ビデオ。 https://www.youtube.com/watch?v=g-DFzKZIdO4 Lalaとお母さんが今イスラエルにいることは、家族の中でも数人しか知らないという。というのも、イラクとイランとイスラエルの間の難しい政治的関係のため、イスラエルに来たことがイラク政府にばれると、イラク・クルディスタンの自治政府で働いているご主人は仕事を失う可能性があるという。なので、彼女たちの写真はなし。 […]

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食料品買い出し

ここShevetでは毎朝、その日に各メンバーが行う働きのスケジュール表が配信される。今日の私の一番大きな仕事は、食料品の買い出し。あら、これくらいなら1時間もあれば終わるんじゃ・・?などと思っていたら大間違いだった。 バッグをもって外出する気まんまんの私に、先輩(といっても30歳以上若いだろうな)のDoroが言った。「まだまだ、まずやることあり。」まずは2軒の大きな家(ひとつはスタッフ、ひとつは病気の子どもと家族用)の食料品倉庫に行って、何があるか何がないかの在庫を確認する。これがなかなか難しい。というのは、食品ラベルは全部ヘブル語だし、加えて見たこともない(クルド人やパレスチナ人が食べる)エギゾチックな食品もある。何かそもそもよくわからないものを、字が読めないお店に行って買えるのか・・・。それから、夕食づくりはローテーションでやるんだけど、その担当者から必要な材料メモをもらって、それも勘定にいれなくてはならない。赤ちゃんもいるから、おむつとかミルクとかもある。在庫確認と買い物必要表ができたところで、Doroの運転でお店に行く。Doroがお店の中に何があるか、どうやって商品を選んだらいいか、セールの見方などを教えてくれる。フレンドリーなイスラエル人のおじさんが、なんやらヘブル語で話しかけてくるので、「Sorry. ヘブル語わかりません」というと、「Ok Ok イングリッシュオッケー。ハローハロー」といやにフレンドリー。アジア人を見るのがめずらしいんだろうな。最初は文字は読めないし、言葉はできないし、すごい居心地の悪い場所だったけど、そのうちモノを探すのに没頭して全く気にならなくなった。ハレルヤ。 結局、大きなカートに2つ分の買い出しをし、トータル1,000シュケル($300くらい)。家に戻り、それぞれの棚に補充。体力的にも精神的にもつかれたしごとでした。Doroは「すぐ慣れるよ」と軽く言うけれど、アシュドテの喧騒をブンブン車を飛ばし(イスラエルの運転はかなり荒い)、ラベルの読めない商品をばんばん買い物籠に入れ、物おじなくどんどん進んでいく彼女は私にはヒーローにしか見えなかった。そう彼女に言うとDoroは、「4か月前Shevetに来たときは、英語がひとつもしゃべれず(今となってはうそみたい)、すごくシャイで英語スタッフとは全く会話ができず、自信も決断力もなかった・・・」という。神様は本当に人を新しく建て上げらる方だ!

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フランクとムイエット

フランクは、私たちがShevetに着いたときCovidのせいで隔離していた人。本当は先週アメリカに帰国するはずだったのに、テストが陽性で出発を遅らせばならなかったそう。隔離がやっと終わって、今日朝部屋から出てきて、そして今夜にはシカゴに戻る。 なので、フランクとは実質過ごした時間は24時以下なのだけど、なんだか昔から知っているように感じるような人である。今日の朝の祈りと賛美のときは、いろいろな緊急事態(病気の子どもの様態変化)があり、スタッフの多くはそちらの対処で忙しく、フランクとももと私の3人だけでした。ゆっくり祈り、ゆっくり話をシェアしました。 ムイエットは、クルド人の病気の子どものお兄さんで、付き添いできてShevetに住んでいる。しばらく前にエルサレムに一緒に行く機会があったそう。宿泊に古いカトリック教会の建物を改造した場所を選んだそうなのだけど、そこでムスリムの祈りの時間がやってきた。ムイエットは、教会だった場所で祈りをささげるのはふさわしくないと言ったそう。 フランクはそこで「あなたの神はどういう神か?」と聞いたら、ムイエットは「自分たちの神はアブラハムの神だ」という答えだったそうで、フランクは創世記の12章を開いて自分もアブラハムの神を信じていると話したそう(ポイントは、教会だった建物で祈りをささげることはなんら問題はないのではないかということ)。そうしたらムイエットは「違う違う、私たちの神は世界をつくり、世界の中のすべてのものを造った神だ」というので、フランクは今度は創世記の1章を開いて読んだそう。そうしたら、ムイエットは少し気分を害した様子で、「自分たちの信仰のことで茶化さないでほしい」みたいなことを言ったというのでした。 ニュアンスを汲み取るのはなかなか微妙。というのは、ふたりは翻訳アプリ(Google Translateにはクルド語がないので、何か他のアプリらしい)でコミュニケートしていたわけで。もしかして、フランクが私たちの聖書を開いてそこを基準にして話したのが、彼らの信じるものが二次的で劣るもののように扱われているように思ったのかな。福音を伝えることは純粋な愛からでなくてはならないけれど、でもそれって本当はどういうことなのか私には深い理解が難しい。違う宗教を持つ人(いや同じキリスト教でも観点の違う人)を、そちらからこちらに引き寄せて自分と同じように思わせようとするのではなくて、私たちは「向こう側へ渡って行って」その人たちの考えと近くなることがまずは必要なようにも思う。もしかして私たちはコーランも読んだりしたほうがいいのかもしれない(実際、ShevetのメンバーのBreaはコーランを読んでいる)。私たちの王なる神は私たちのところまで下りてきてくださり、そして私たちのようになってくださった。 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。  ヨハネ1:14 なんやかんや言っても、主はフランクとムイエットの間でしっかり働いていてくださったようで、フランクが空港に出発するとき、二人は兄弟のように固いハグをしたのでした。アーメン。

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安息日の夕べ

これはまだ前の記事と同じ金曜日のこと。金曜は朝モールに行き、そのあとMessianic Congregationで礼拝し、そして礼拝後そそくさと帰路を急いだ。なぜなら、日没にはShabbat(安息日)が始まるので、私たちShevetでは周りのユダヤ人隣人への尊重から、車は運転しないことになっているので。日没までには家(Shevet)に着き中に入ってみたら、安息日のための夕べのテーブルが美しく用意されていた!今日の当番は、インディアナ州からきているBreaとオランダからきているヨハナ。 聖書を読みながらともにパンを割き、ワイン(ぶどうジュース)を飲む。Shevet Achimのテーマソングともいえる賛美曲 Shevet Achim(詩編133)をヘブル語と英語で賛美し、ローソクの灯で食事をいただく。メニューはタコライス(ちょっとらしからぬけど?)チキン、きざんだフレッシュな野菜(野菜がおいしい!)とライス。すごーくおいしい! 食事の後は、リビングで集まって映画を見た。私が好きな古い映画だった。Pursuit of Happiness。安息日って、おいしくてあたたかいと思った。

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アシュドテ到着!

一日遅れで出発遅れでやっと出発できました。初めて乗るTurkish Air。 機内スクリーンには、コーランもありました。メッカの方向と次の祈りの時間もスクリーンで確認できます。祈りに対するこの姿勢、私も見習いたいものと思いました。 13時間飛行後、イスタンブールで乗り換え。5時間も待ちがあり、YotelAIRというターミナル内のホテルにチェックイン。時間制で部屋が借りられ、シャワー浴びてベットで寝られます。 Yotelで仮眠のあと、テルアビブ行きに。2時間弱でやっとイスラエル到着! イスラエルのビデオといえば、いつも荒野ばかり見ていたけど、テルアビブの夜景は大都会(あたりまえか!)。入国は思ったよりすごく簡単。PCR検査のあと、ShevetからHanaとAmilieが車で迎えに来てくれ、アシュドテまで無事到着。 もともとの出発にパスポートが間に合わず、あきらめようかと思わされたものの、無事アシュドテまで主が送り届けてくださいました。出発前の日曜に教会で受け取ったメッセージが、娘にも私にも大きな励ましとなっています。 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。 使徒行伝1:8

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