ユダヤ人教会で礼拝

これは、金曜日の朝モールに行って帰ってきてからの話。AmelieとHanaがこのあたりのMessianic Congregation(ユダヤ人のクリスチャン教会。ユダヤ人は自分たちのことはChristianとは言わず、Messianic(キリストをメシアと信じる)Jew(ユダヤ人)という呼び方をする。Churchという呼び方もあまり使わず、ふつうCongregation(集まり、集会)という言い方をする)に一緒に行く~?と聞いてくれたので、「もちろん!」と着いていく。

Beit Hallel という教会へ向かう。Beit は家 、Hallel は賛美、たたえることなので、賛美の家という意味。ちなみにベツレヘムはBeit=Lehemでパンの家の意。このあたりでは、金曜の夜に安息日礼拝をするところ、土曜日に安息日礼拝をするところなどいろいろあるそう。ここアシュドテの住人は90%がユダヤ系イスラエル人で、アラブ系イスラエル人はほとんどおらず、そういう意味ではユダヤとアラブ(イスラエルとパレスチナ)の闘争などはほとんどないのだけど、その代わり正統派ユダヤ人(Orthodox Jews)からのMessianic Congregation(いわゆるクリスチャンユダヤ人)に対する攻撃があるそうで、この教会も石投げや器物破損などの被害にあっているそう。キリストを信じるユダヤ人は、ユダヤ人からするとユダヤの裏切り者と考えられることも多い。これはキリスト教会がユダヤ人を迫害してきた歴史のゆえ。過去の教会による迫害の傷があり、ユダヤ人は十字架を見るだけで震え上がるという話もよく聞く(なので、Messianic Congregationには十字架はかかげない)。本当は、キリストはまずユダヤ人を救うために、イスラエルの王、ユダヤ人の救世主としてこの世に来たのに、なぜこのようなことになってしまったのかと思う。とにかく、そういうわけで、この教会もユダヤ人からの攻撃があり、礼拝場所を移し、今はビルの裏の外からあまり見えないところにある。写真もとりたかったけど、セキュリティ上写真は禁止ということで、とれませんでした。

Beit Hallel ホームページからのリンクはこちら

後ろに座っていたご家族がみんな英語が堪能ですごくフレンドリーにお話ししたけど、息子さんの一人がTシャツのうえにポータブルプリンターみたいな機械をたすき掛けにしている。。いったいこれは?後で聞いたところによると、彼はOff Dutyのイスラエル軍 Israel Defence Force(IDF)のメンバーらしく、それでも何かの時のために機関銃を携帯しているのだそうで。天使のように甘いマスクと機関銃(プリンターみたいに見えたのは、がちゃんがちゃんとすると銃の形に変身するということらしい)を教会に持ってくる。。これがやはりイスラエルの現実なのかと思いました。写真はもちろん取れなかったけど、イメージ的いはこんなかんじ(webから)。

賛美も祈りも礼拝も全部ヘブル語!だけど、礼拝のスタイル的には私の慣れ親しんだアメリカのプロテスタント系のスタイルに近い。これは案外意外だった!アメリカ・ロングビーチで言っているMessianic Congregationでは、言葉は英語だけど、あとはとってもユダヤ的。頭にはキッパ(男性がつける小さな帽子みたいなやつ)かかぶりものをつけ、男性はターリットと呼ばれる線の入った祈りのショールと、ツィツィと呼ばれる4すみにふさがついた下着(このふさは、長血の女がさわって癒されたイエス様の服のすそのこと)を着ている人もいる。祈りは、シドゥールと呼ばれる伝統的なユダヤの祈りの本(に、新約聖書の内容を付け加えたもの)を使っている。アメリカではこのすごいユダヤユダヤした礼拝に慣れていたので、本場イスラエルでの言葉こそヘブル語だけど、あとはアメリカっぽい礼拝にはちょっとびっくりした。

外国人は私たち4人だけのようだったけど、同時通訳を用意してくれた。メッセージは、黙示録にある世の終わりを前にし、いかに目を覚まし用意をしておくべきかという内容。「わたしたちMessianic Jew(ユダヤ人クリスチャン)は、同胞イスラエルの兄弟にゴスペルを伝えるためいつも準備をしていなくてはならない、彼らをjealousにさせなくてはならい(「ああ、あの人たちの信じている方は、そんなにすごいのか、自分たちもその平安と力が欲しいじゃないか!」みたいな感じの嫉妬)という話がああった。このローマ人への手紙11章11節は、異邦人信者である私としては、いつもイスラエルの人を思うとき心にある一節だったので、ここでこれを聞いて深い感慨がありました。牧師さんは、現代では世界のあちこちにヘイト(憎しみ)があふれているが、私たちは神のシャローム(平安)をもって人に接したいと話しておられました。

それでは尋ねますが、彼ら(イスラエル)がつまずいたのは倒れるためでしょうか。決してそんなことはありません。かえって、彼らの背きによって救いが異邦人に及び、イスラエルにねたみを起こさせました。 

ローマ人への手紙11:11

ここの教会にはロシアから帰還したユダヤ人が多く、ホロコーストの悲しい過去を抱える家族も少なくないのだそう。今回一緒に来たShevetのAmilieとHanaはどちらもドイツ人。そこでユダヤ人信者とともに主を礼拝することは、とても複雑でとても祝福される思いであると語ってくれました。それから、牧師さんが先日道で会ったパレスティナ人の話をしてくれ、よく聞いてみたらイスラエルが軍事封鎖をしているガザからきているということだったそう。静かに話をした後(なかなか静かに話をできない組み合わせ)、福音を伝え、そしてともに道にいるままで祈ったという。本当に、この世のあちらにもこちらにもヘイト(憎しみ)、傷、悲しみ、恐怖があふれているけれど、平和の君である私たちの主は癒しのわざも確かに確認させてくださる。主のみ名はほむべきかな。

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