6月5日(日)は七週の祭り(Shavuot、ペンタコステ、五旬節)の2日目。この日は、エルサレムにあるへブル大学の修士課程で学んでいるゆかこさんにお会いした。ゆかこさんは全く存じ上げなかったのだけど、Shevetのニュースレター(ボランティアが順番で書くもの)に私がレターを書いたところJunkoという名前を見て、「お名前からして日本人の方ですか?」とニュースレターを受け取った方からテキストがあった。東京聖書キリスト教会の牧師夫人の尾山キャシーだった。尾山先生ご夫妻もShevetでボランティアをされていたことがあるとのこと。東京聖書キリスト教会といえば、私も知り合いの方を通してなじみあるところでつながりに感謝しました。ゆかこさんも同教会に行っておられ、そういうわけでご紹介を受けた次第。ゆかこさんと、旧市街にあるChrist Church Jerusalemのテラスでお会いしいろいろと興味深いお話を伺った。そのあと、ゆかこさんと一緒に夕方6時半からペンタコステ礼拝に参加。 Christ ChurchはAnglican(英国国教会)系の教会で、Liturgy(式典)に従っての礼拝・賛美と英国系の英語でのメッセージがあった。ペンタコステ(五旬節)にちなんで聖霊降誕の話だった。使徒1:13の「屋上の部屋」は英語ではThe Upper Roomと呼ばれエルサレムでも観光名所のひとつになっているけど、これはあくまで伝承的なものであり、歴史的な確認はされていない。今回のメッセージは、使徒2:1で「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた」場所は、この「屋上の部屋」ではなく、ほかならぬ神殿であったはずだという内容であった。Messianic Jewの学びでも同様に習ったことがある。七週の祭り(Shavuot、五旬節、ペンタコステ)はユダヤ人にとっては、過ぎ越しの祭り、仮庵の祭りとならんで三大祭りとしてエルサレム神殿巡礼をするものであり、ペンタコステの日の当日に人が神殿以外のところで集まることは考えにくいこと、3,000人以上の人がいるとなれば普通の家ではなくて、この家は「神の家」であるはずだという説明だった。もともとはエドム人でありユダヤ教に改宗しただけで純潔のユダヤ人ではなく、よりにもよってローマ政府から「ユダヤの王」として「指名」されたヘロデ王が改修した神殿、いってみれば神の聖さからはほど遠かった神殿で、人々が集まって求めたとき聖霊がくだった。これが私たちの原点!この教会からすぐそこの神殿の丘、でも今は私たちが獲得できていない丘で! 礼拝のあと、まだ安息日があけず、公共交通機関は夜の9時過ぎまで動かない。タクシーでエルサレム中央駅まで行くと、まだ駅には人一人いない。電車再開後の第一便に乗ってアシュドテまで帰宅。帰ったら夜の11時過ぎ。明日はまた働かなきゃ!
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七週の祭りでエルサレムへ(2)
6月4日は七週の祭り(Shavuot、ペンタコスト)の一日目であり、かつ土曜日の安息日でもあった。朝10時にNetivyahというメシアニック(キリストを信じる)シナゴーグで安息日礼拝をし、午後6時半からは七週の祭りの礼拝に参加した。 礼拝はヘブル語だけど、英語の同時通訳あり。イスラエルで生まれた人、全世界からAlliah(アリア―、ユダヤ人としてイスラエルに帰還すること)してきた人、エルサレムを短期間訪れている人など世界中の人がいる。 同じShevetでボランティアしているマルガリータにはエルサレムに住む娘さんがいてここでいつも礼拝しているそうで、シナゴーグでの食事を一緒にさせてもらった。 朝の安息日礼拝では、世代から世代へと神のみことばを引き継いでいくことと神に与えられたものの中から初穂をささげることの大切さが話された。夕方の七週の祭り礼拝では、ユダヤ教のしきたりに習ってルツ記を皆で読んだ。なぜ七週の祭りでルツ記を読むのか・・・。こういうユダヤの習慣の中に、キリスト教にとっての大きな意味を見出すことが多いように思う。いろいろ思いをはせるとき、ユダヤ人も異邦人も全世界をみもとに引き寄せる壮大な神の計画を思う。ナオミはモアブからベツレヘムに帰ってきたものの、子孫を残す希望もなくもはや神の愛を全身で感じることのできないイスラエル、ルツはナオミに自分の国に帰れと言われても、「イスラエルの民が自分の神、イスラエルの神が自分の神(ルツ1:16)」だという異邦人。神はこの異邦人(ルツ)を通して、息絶え絶えになっているイスラエル(ナオミ)を神の民として回復させ、異邦人(ナオミ)をイスラエル(ボアズ)に接ぎ木し、そこからダビデを生み、そしてさらにはメシアなるキリストを生んだ。キリスト教会はこうして生まれたのだ。異邦人ルツが穂を摘むことができ、ユダヤ人ナオミにも食べさせることができたのは、レビ19章9節の「自分の土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで借り尽くしてはならない。収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない」という律法がユダヤ人に与えられていたからでもある。神は全世界を救う計画(創世記12:3)を最初から最後まで立てておられ、着実に計画を進めておられることを思う。イスラエルが特にえらいわけでも、異邦人が特にすぐれているわけでもないのだろう。周り回って神はすべての人を救おうとされているのじゃないかな。私たちクリスチャン、異邦人で接ぎ木された者に課せられている役割を考えないではいられない。 有るものを無い者とするために、この世のとるに足らない者や見下されている者、すなわち無に等しいものを神は選ばれたのです。 肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。 Iコリント1:28,29 七週の祭りが、イスラエルの民がモーセを通して神のことばを受け取った日であり、イエス・キリストの従者がキリストの昇天のあと聖霊を受け取った日であることは、大変に深い意味があるのだろうと思う。
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6月4日(土)、6月5日(月)は七週の祭り(ヘブル語でShavuot、別名ベンタコステ、聖霊降誕祭)で金土日と3連休になったので、娘と一緒にエルサレムへ。ユダヤ人は七週の祭りを、モーセがシナイ山でトーラを受け取った日として祝い、クリスチャンは聖霊がキリストの弟子たちに下りた日として祝う。そんな特別な日にエルサレムにいられることを感謝します。 金曜朝、電車でアシュドテからテルアビブ乗り換えでエルサレムに。1時間半。 エルサレムの駅はこの右の写真のような長~いエスカレータが3つ分続く深い地下にあります。 とりあえず、Jaffa GateからCity of Davidまで城壁の上を歩いてみる。 Western Wallで祈ってから旧市街を突っ切って城壁の外へ。あまりに暑くて干上がったので適当にランチができそうなところに入ったら、名前がHillel。1世紀のパリサイ派ユダヤ教には2つの大きな派があって、ひとつがシャマイ派、ひとつがヒレル派と習った。ヒレルの孫がガマリエル(使徒5:34、22:3)でパウロの先生。なんとなくパリサイ派というと律法的でよくないイメージがどうしてもつきまとうもの。当時、パリサイ派とともに、他にもこんな派があった。 サドカイ派(ローマと結託し政治的権力をもつ祭司、上流階級など。この世的) […]
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