Shevetでの奉仕もあと残すところ3日。今日は娘と二人で食料買い出し。買い出しの奉仕ももう5回目くらいかな。運転もずいぶんと慣れてきた。Shevetでの奉仕はいつも二人組。最初は慣れた人に教わりながら、見よう見まねでやり方を覚えていく。今回は娘と二人だけで、他に頼る人はいない。今でもヘブル語は話せないしわからないことだらけだけど、なんとかなるという守りを感じながら進んでいく力のようなものは成長したように思う。 いつもと同じように車を停め、カートをとって(5シュケル玉を入れてカートをとり、使い終わってカートを戻すと5シュケル玉が戻ってくるしくみ)お店の中に入ろうとしたら、ガードの人に止められた!いつもお店のところにセキュリティみたいな人が立っているのだけど、今までドイツ人、アメリカ人、コロンビア人と一緒に来たときは一切止められたことがなかったので、今回もふつうに通り過ぎようとしたら、娘と私(どう見てもアジア人)に止まれという。バッグの中を見せろといわれ(ヘブル語だったけど、身振り手振りで)中を見せる。難なく入れてもらったけど、そこで考えた。 ユダヤ人というのは1948年までは自分の国を持たず、そもそもディアスポラで世界中にちりぢりばらばらになっている人がだんだんと帰還して国ができあがっているので、ある意味でいろんな国の文化や言語にフレンドリーというかんじがある。帰還したばかりならヘブル語ができないこともあるわけで、ヘブル語ができないから生活ができないということもない。ユダヤ人でなく、アラブ系の人口も20% いる。いろんな人種のひとがいてオリジナルの中近東系、白人系、南米系、南アフリカ系などなどなんでもあり。だからとにかくいろんな顔の人がいる。だけど、アジア系ユダヤ人というのはいないのかな?エルサレムではアジア人も見かけたけど、アシュドテでは私たち二人以外のアジア人に会ったことはない。 Wikipedia情報だけど、ディアスポラでは、西アジアはもちろんのことインドあたりまではユダヤ人が広がったそうだけど、東アジアにはやはりユダヤ人移民は少なかったらしい。ただ、全くないということではなく、中国、韓国、日本にも少なからずのユダヤ人もいるそうで、日本では東京や神戸を中心に数百世帯が住んでいるそうだ。だけど、他の国のように現地化して日本人となりながらも、実は血統的にユダヤ人という人はほとんどいないのでしょうね。 まあ、入り口チェックにはちょっと寂しい気がしながらも、とにもかくにも3日分の買い物(1,400シュケル=420ドルくらい)が終わりました。これでこの買い物の奉仕も最後です。
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ユダヤ人の家にあるもの (3)
ボンブ・シェルター(防爆部屋?)。1951年だかの法律ができてから、各家庭(場合によっては何世帯かで共有もOKときいた)にはボンブ・シェルターをつくることが義務付けられた。Shevetの借りている家のシェルターはここ。キッチン横のパントリー(食糧倉庫)。 ミサイルが飛んできてサイレンがなったらここに逃げることになっている。部屋は金属の壁で囲まれ、ドアも金属。 家にいるときならいいけど、外で散歩しているときサイレンがなったらどうするの?と聞いてみたけど、どうやらコミュニティーのボンブ・シェルターというのがあるらしいけど、どこにあるのか誰も知らない。「サイレンはほとんどならない。イスラエルにはアイアンドームがあって、ミサイルが飛んできても上空で追撃爆破させて地上にはこないからいたって安心・・」というのがみんなが言う言葉。 ガザからハマスが発射するミサイルは約14%が失敗でガザに落ちる・・イスラエル側に飛んでくるミサイルのうち90%はアイアンドームが上空で撃沈させ、残りはそもそも居住地ではない荒野に落ちる・・というのが安心の裏にあるロジックらしい。ただ、まれには居住地にミサイルが落ちて死者が出ることもあるので完全ではない。アメリカにいて無差別の銃撃で命を落とすリスクと同じようなかんじなのかな(いや、昨今ではアメリカの銃撃の方がリスクが高いかもしれない!)。
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