ダビデの街

今日はダビデの街(City of David)へ。ダビデがヘブロンで7年半統治をしたあと、ヨアブ率いる軍により、エブス人の街だったエルサレムを占領し建てたオリジナルの城壁街で今のエルサレムの旧市街の南側のエリア。

ダビデの街から南側を望む

その後ダビデの息子ソロモン王が第一神殿を今の神殿の丘に建てた。ところがそこからイスラエル王国は北イスラエルと南ユダ王国に分裂し、北イスラエルはアッシリアに捕囚。南ユダは13代目ヒゼキヤ王のとき、やはりセンナケリブ率いるアッシリアに攻撃される。そのとき、ヒゼキヤ王がつくったエルサレムの地下水路がある。当時、城壁の外にあるギホンの泉(水が湧くところ)から城壁の外側に水がながれていた。アッシリア軍が攻めてきて水源が外にあるのでは敵に水を与えてしまう・・というので、ギホンの泉から城壁の街の地下に水路を掘ってシロアムの池まで、水を城壁の中に流し敵に水を与えないというのが戦略。なんと地下に全長メートルの水路を掘った(のみとかなづちで!)というのがだかすごい。その水路を実際歩ける!

ヒゼキヤの水路

このヒゼキヤはまたギホンの水の上の源をふさいで、これをダビデの町の西の方にまっすぐに引き下した。このようにヒゼキヤはそのすべてのわざをなし遂げた。

第二歴代記32:30

これが功を奏してアッシリアの攻撃は防ぐも、その後20代目の王ゼデキヤのときには南ユダ王国はバビロンに攻撃され、残っていたイスラエルの民もバビロンに捕囚される。それから50年ほどたってペルシャ王国のクロス王がイスラエルの民のエルサレムへの帰還を許し、まずはヨシュアとゼルバベルにより第二神殿が復興され、エズラが神殿にトーラを戻し、その後ネヘミヤが城壁の修復にあたった。下の写真で、スロープになっている部分の上にあるちょっと色が黄色っぽくて垂直にたっているところが、ネヘミヤが修復した壁だそう。

ネヘミヤの壁

しかしわたしはついに彼らに言った、「あなたがたの見るとおり、われわれは難局にある。エルサレムは荒廃し、その門は火に焼かれた。さあ、われわれは再び世のはずかしめをうけることのないように、エルサレムの城壁を築こう」。

ネヘミヤ記2:17

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