Dual Narrative Hebron Tourというのに参加してみた。ユダヤ人ガイドとパレスチナ人ガイドがそれぞれの立場から語るのでDual Narrative。ヘブロンは、カナンの地に入ったアブラハムが妻サラを葬るためヒッタイト人エフロンから土地を買った場所。イスラエルの民が、初めてカナンの地を「代価を払って所有」した場所である。その後、アブラハム自身も、長男イシュマエル(アラブ人/パレスティナの先祖)と次男イサク(ユダヤ人の先祖)との二人によってここヘブロンに葬られた。また、イサクと妻リベカ、イサクの子ヤコブと妻レアも葬られている(ヤコブのもう一人の妻ラケルは、ベニヤミンを出産したときに死亡し、ベツレヘムに行く道のかたわらに葬られている(創世記48:7))。ヘブロンはまた、ダビデ王が7年半ユダヤを統治した場所でもある(IIサミュエル5:6)。
ユダヤ人からすれば、自分たちの先祖アブラハム、イサク、ヤコブ(ヤコブからイスラエルの12部族が生まれる)が葬られた場所、イスラエルが初めて土地を所有した場所であり、ヘブロンが完全にイスラエル領でないことを深く嘆いている。パレスチナ人からすれば、アブラハムは自分たちの祖先であり、イサク、ヤコブは自分たちの預言者であり、マクペラの墓が完全に自分たちのものでないこと、またパレスチナであるヘブロンにどんどんユダヤ人が押し寄せていることを嘆いている。ヘブロンは、パレスチナ(West Bank)にありながら、街中にユダヤ人の住む場所が存在しているというきわめて特別な市であり、市民同士は緊張関係にある。ヘブロンに向かう公共バスの窓は防弾ガラス、ヘブロン市内にはIDF(Israel Defence Forces)の重装備の兵士がたくさんいる。
マクペラの墓(マクペラは場所の名前。この建物の下に上記全員が眠っている)は真ん中に仕切りがあって、イスラム・モスク側とユダヤ・シナゴーグ側に分離されている。それでいて以前はカトリック教会でもあったという建築物。ユダヤ人ガイドはイスラム側には入れないし、パレスチナ人ガイドはユダヤ側には入れない。11人のツアーグループの中にもユダヤ人が何人かいたが自分の素性を表明すれば入れてもらえないので内緒でイスラム側に入った。イスラム側で「ユダヤ人はいませんか?」とチェックポイントで聞かれたら、クリスチャンが「We are Christians」と叫んでくれと頼まれた。一人そう答えれば、グループ全員クリスチャン団体とみなされ通過できるというわけらしい。
この建物には以前は仕切りがなかったのだそう。1994年に、アメリカ系ユダヤ人の医師がそこで祈っていたイスラム教徒を襲撃し、パレスチナ人イスラム教徒29名が殺害され、125名が負傷するというヘブロン虐殺事件が起こった。これにより、このマクペラの墓もふたつに分離、ヘブロンの街の中もさらに厳しい分離体制となったのだそう。今ではユダヤ教・イスラエルとイスラム教・パレスチナはどうやっても交わらない絶交状態の兄弟になってしまった。ガイドのエリアフが見せてくれたけど、虐殺事件の前までは、この同じ建物でユダヤ教徒とイスラム教徒が一緒に祈っていた(下の写真。右下床で祈っているのがイスラム教徒)そうである。美しい絵だと思う。
イスラエルとパレスチナの分離は地上の平面の区切りだけでなく、ここヘブロンでは上下の分離もある。下の写真はヘブロンの旧市街。歩いているところはパレスチナ側。でも上に鉄製ネットがある。なぜかというと、建物の上には「イスラエル人が勝手にやってきて、人の家の天井に家を建て住んでいる」というのである。上から、下の街中にゴミや尿などをいやがらせに落とすという。このツアーでもつい3日前に尿が上から降ってきたという((+_+))
こちらは旧市街の上のイスラエル側。上の写真のネットを見下ろしている感じ。
上層のユダヤ人側に住むラビ(ユダヤ人の教師)によると、上からものや液体などを下に投げるということなど聞いたことがないという。ずいぶん話がかみ合わないのだけれど、きっとどちらの言っていることも100%正しいことはなく、またどちらの言っていることも100%間違いでもないのだろうと思う。こんな二つの子孫を見て、アブラハムは(そして神も)きっとずいぶんと悲しんでいるだろうなあと思う。
下はパレスチナ側旧市街にあるお店のようす。