ベツレヘムでは、House of Peaceというパレスチナ人のクリスチャンが経営しているホステルに泊まった。パレスチナ人はアラブ系。大方はイスラム教信者だけど一握りクリスチャンがいて、クリスチャンであってもほとんどがカトリック系らしいけど、House of Peaceはプロテスタント系のクリスチャン。アラブ系のプロテスタントの人にはあまり会ったことがないので、ぜひいろいろ聞いてみたいと思って泊まってみた。

家族運営のHouse of Peaceはすごく家庭的。お母さんのエレンと息子のダニー。ダニーはツアーガイドもやっていて、2日間案内してもらう。着いて初めて聞いたアラビア語が「エンシャーラ」。このアラビア語はShevetでボランティアしているとき、ガザやシリアのムスリムのお母さんがすぐ口にしていたので覚えていた。In sha’Allah とつづり「アラーのみこころならば」という意味。何か予定を建てたり、自分の考えを語った後や、計画通りに行かなかったときなど、とにかく頻繁にこの言葉を言う。神にすべてをゆだねる雰囲気があって、私は好きなことば。でもアラーということばが入っているから、私が使っていいものなのかどうかと思っていたけれど、House of Peaceでクリスチャンの口から「エンシャーラ」と聞いたので、ああやっぱり大丈夫だと思った。ダニーが言うには、「アメリカ人などは、アラーはイスラムの神だと勘違いしてることがあるけど、アラーはただ単に”神”を意味することばなので、クリスチャンが使っても何ら問題ない」とのこと。

ダニーに案内してもらって、ヨルダン川、ジェリコ(エリコ)、死海を回る。

ユダヤの荒野。キリストが40日過ごしたところがこんなかんじだったらしい。

荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。

ルカによる福音書4:2
ヨルダン川。イスラエルがヨシュアに率いられヨルダン川を渡って約束の地(初めに征服したのがジェリコ)に入ったところ、またキリストがヨハネから洗礼を受けたのがこの辺ではないかと言われている。こちら側が約束の地側(今はイスラエルではなくてWest Bankパレスチナ)、向こう側はヨルダン。イスラエルとヨルダンがヨルダン川の水を農耕などにどんどん使っているのと温暖化の影響で、水かさがどんどん減り、ヨルダン川はますます小さな川になっているそう。実際すぐ渡れそうな川だった。

すべてのイスラエルが、かわいた地を渡って行く間、主の契約の箱をかく祭司たちは、ヨルダンの中のかわいた地に立っていた。そしてついに民はみなヨルダンを渡り終った。

ヨシュア3:17

 さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、

聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」

ルカによる福音書3:21-22
キリストを見るためにザアカイが登ったと言われる木。考古学的証拠はないが、この木の根は2,000年前までさかのぼるそうで、ほかにはこれほど古い木がないので、もしかしたらそうかもしれないとのこと。

さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。
ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。
彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。
それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。

ルカによる福音書19:1-4
Tel Jericoと呼ばれるジェリコの街の跡。ジェリコの歴史はBC8000年までさかのぼるそう。
道を走っていると、羊飼いの姿を見かける。緑の牧草地を想像していたけど、かなり荒野っぽいところでほんの少し草があるような丘というか山肌で羊を飼っている。あんなところで羊が迷ったら水も食物もなくてすぐ死ぬだろうと思う。
べタニアにあるラザロの墓(考古学的証拠はないが、マリア、マルタ、ラザロは裕福な家であったことから、この洞穴の墓がそれらしいと考えられているそう)。すでに時間が過ぎてしまっていたのに、ガイドのダニーが連絡をしてくれたら管理の人がわざわざ来てくれて開けてくれた。パレスチナの人は素朴で親切な人が多いと思う。

さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤの人であった。

ヨハネによる福音書11:1

その日には、生ける水がエルサレムから流れ出て、その半ばは東の海に、その半ばは西の海(*死海)に流れ、夏も冬もやむことがない。

ゼカリヤ14:8
ベツレヘムから3キロほどのBeit Sahourというところにある羊飼いの洞窟(Shepher’s Field)。キリストの生誕を羊飼いが告げられた場所ではないかと言われている。羊飼いは当時、夜はこんな洞窟で羊を眠らしたそう。

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。

すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。

御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。

 きょうダビデの町(*ベツレヘム)に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

ルカによる福音書22:8-12
ベツレヘム郊外のBeit Sahourは、ボアズの野(Boaz’s Field)とも呼ばれていて、こんな感じのところでボアズは大麦、小麦をつくっていたらしい。ボアズはダビデ王のひいおじいちゃん。ダビデ王の末裔がイエス・キリスト。

ボアズはルツに言った、「娘よ、お聞きなさい。ほかの畑に穂を拾いに行ってはいけません。またここを去ってはなりません。わたしのところで働く女たちを離れないで、ここにいなさい。

ルツ記2:8

サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、エッサイはダビデ王の父であった。

マタイ1:5-6
ベツレヘムのNativity Church。キリストが生まれた場所といわれている。

ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、

初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

ルカによる福音書2:6-7