6月4日(土)、6月5日(月)は七週の祭り(ヘブル語でShavuot、別名ベンタコステ、聖霊降誕祭)で金土日と3連休になったので、娘と一緒にエルサレムへ。ユダヤ人は七週の祭りを、モーセがシナイ山でトーラを受け取った日として祝い、クリスチャンは聖霊がキリストの弟子たちに下りた日として祝う。そんな特別な日にエルサレムにいられることを感謝します。
金曜朝、電車でアシュドテからテルアビブ乗り換えでエルサレムに。1時間半。
エルサレムの駅はこの右の写真のような長~いエスカレータが3つ分続く深い地下にあります。
とりあえず、Jaffa GateからCity of Davidまで城壁の上を歩いてみる。
Western Wallで祈ってから旧市街を突っ切って城壁の外へ。あまりに暑くて干上がったので適当にランチができそうなところに入ったら、名前がHillel。1世紀のパリサイ派ユダヤ教には2つの大きな派があって、ひとつがシャマイ派、ひとつがヒレル派と習った。ヒレルの孫がガマリエル(使徒5:34、22:3)でパウロの先生。なんとなくパリサイ派というと律法的でよくないイメージがどうしてもつきまとうもの。当時、パリサイ派とともに、他にもこんな派があった。
サドカイ派(ローマと結託し政治的権力をもつ祭司、上流階級など。この世的)
エッセネ派(聖さを突き詰めるあまり、世間とは決別し独自の隔離社会を形成)
熱心党(神と律法に熱心なのはいいが、その分過激になりがちでテロリスト的な要素あり)
これらと比すれば、律法の順守にこだわり神のことばに従順でありたいと願うパリサイ派は、キリストに一番近いものであったと教わった。律法の遵守にこだわるあまり本末転倒になっているところはあるものの、そういう意味では悔い改めさえすれば神のことばに最も近いひとたちであり、ある意味でもっとも「脈があった」わけである。それゆえキリストは他の派ではなくパリサイ派を集中的に招き、食事を共にし、交わったのだそうだ。交わっても信じないかたくなな人がいたため、パリサイ人はかたくな・・と思いがちだが、他の派はそもそも望みがなかったので話にものぼらなかったともいえる。実際、パリサイ人の中からはのちに信じる人が起こされている(使徒15:5)。前述のとおり、パウロがパリサイ派である。また、安息日ごとにシナゴーグで教え、人のためにある律法(神を愛するため、兄弟を愛するため)においては忠実であろうとしたイエス自身が、生き様としては最もパリサイ的であったという話もきいたことがある。だからパリサイ人もなんだか身近に感じてきたこのごろ。そんなことを考えながら、Cafe HillelでイスラエルのビールGoldstarと一緒Hillel Sandwichをオーダーしてみました。すごくおいしかった!
泊まるのは、城壁の中のAirbnb。ローカルの人が暮らしている場所にある、石でできた部屋です。外はがんがん暑いのに、部屋はクーラーなしでもすごく涼しい。感動!