4月12日にボランティアのアプリケーションを出してその翌週には、娘は大学で私は家でShevet Achimの創始者Jonathanとそれぞれzoomでインタビューをし、4月末には正式に受け入れてもらえることが決まりました。
Shevet Achimというのはヘブル語で、Dwelling Togetherというような意味だそうで、もともとは聖書の詩篇の133章から来ています。
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
詩篇133章1節
Shevet Achimは、パレスティナ自治区ガザに住む心臓手術が必要なアラブ人の子どもたちが、イスラエル側の病院で必要な手術をうけることができるようパスポートや旅行の手配をし、術後の回復のお手伝いをしたうえでガザまで見送るというはたらきをしている集まりです。まあ、何もわからない娘と私が行って何ができるか・・・といえば、きっと回復期のお子さんやご家族のお世話、そうじ、せんたく、食事作りなどになるのかなと思っていますが、とにかくできることをやらせていただければと思い、祈りをもっていってきたいと思います。
世界には民族的・宗教的分断がたくさんあるのでしょうが、ここでの分断はアラブ人とユダヤ人です。ガザはイスラエルに軍事封鎖されており、ガザのアラブ人は簡単に外に出ることができません。すぐ近くにあるイスラエルの病院では世界でも最先端の医療サービスが整っているのに、政治的にも民族的にも金銭的にもそれがかなわないで亡くなっていく子ともたちがいるそうです。アラブとユダヤは聖書に基づけば兄弟です。アラブ人はアブラハムの長男イシュマエルの子孫であり、ユダヤ人はアブラハムの次男イサクの子孫です(創世記16-21章)。
上の聖句の「兄弟」にはアラブ人とユダヤ人が含められているでしょうし、またユダヤ人とクリスチャン教会も入っているかもしれません。イエスキリストはユダヤ人で12弟子もみなユダヤ人でした。キリストはキリスト教という新しい宗教を始めるためにこの世にきたわけではなく、ユダヤ教のラビ、イスラエルの王、ユダヤ人のメシアとして来ました。長い歴史を経てキリスト教はそのユダヤ性を失い、歴史的にはキリスト教会がユダヤ人を迫害しました。宗教改革で有名なマルティン・ルターは私たちプロテスタント教会のはじまりをつくった人ですが、残念ながら晩年には『ユダヤ人と彼らの嘘について』という本を書きユダヤ人を批判しました。それがナチス・ドイツでプロパガンダ的に利用されたという見方もあります。そういうわけでユダヤ教とキリスト教の間にも深い溝が存在しています。Shevet Achimは、神のかたちに似せて作られた神の子どもたちがいろんな国から集まり暮らしています。私たちもほんの短い間ですが、その小さな一部にならせていただければと思います。