よく携挙の場面として引用される下の聖句。メシア・イェシュアの再臨に希望を置くもののための聖句。 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(Iテサロニケ4:16-17) 携挙がいつ起こるかについては、患難期前、患難期中、患難期後などいろいろな説があるけど、まあ、今回はその話はちょっと脇に置いておいて、よく携挙とセットで語られる以下の聖句について考えてみたい。 あなたがたに言いますが、その夜、同じ寝床で人が二人寝ていると、一人は取られ、もう一人は残されます。 同じところで臼をひいている女が二人いると、一人は取られ、もう一人は残されます。(ルカ17:34-35) よく聞く説教は、取られる人は目を覚ましていたよいクリスチャンで携挙される人、残される人は目を覚ましていなかった(あるいは、本当に信じていなかった)クリスチャンで置き去りにされる人というもの。 だけど、ちょっと違うんじゃないかなと思う・・・。 残されて赦される? というのは、「残されます」という単語のギリシア語原語にこんな意味があることを発見したから。そのギリシア語は「アフィエミー」という動詞で、大まかにsend away […]
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イエス・キリストとイェシュア・ハメシア
日曜に礼拝している教会では、我らの主のことをイエス・キリスト(Jesus Christ)と呼ぶけれど、土曜日に礼拝しているメシアニック・シナゴーグでは、主のことをイェシュア・ハメシア(Yeshua Hamashiach)と呼ぶ。私はどこで礼拝するかによって、またどこで聖書を学ぶかによって、主の呼び名を変える。 もう慣れたのでそれほど気にならなくなったけれど、でもなぜこうなんだろうと思ったりする。 イエスとイェシュア Jesus(イエス)は、ギリシャ語のIesous(イエスース)が音訳された英語の名前。そもそもIesous(イエスース)はユダヤ人の名前だったわけで、そのオリジナルはヘブル語であって、Yeshua/イェシュアである。Iesous(イエスース)はただの音としての名前だけれど、Yeshua(イェシュア)はヘブル語としての意味があって、それは「救い」。この言葉が聖書で最初に出て来るのは創世記49:18。ヤコブ(イスラエル)が死を前に、12人の息子たちを祝福するところである。「救い主イェシュア」がすでに、ここに登場していることに感動する。 主よ、私はあなたの救い(イェシュア)を待ち望む。(創世記49:18) 新改訳の2017年版では、この49:18はダンへの祝福とガドへの祝福のちょうど間に、一節だけ離れて書かれているが、ヘブル語原文ではダンへの祝福の方ににくっついて書かれている。その前の17節のダンへの申し送りは決してポジティブなものではなく、ダンは約束の地に入っても割り当ての地(エルサレムの西)を獲得することができず(ヨシュア19:40-48、士師記1:34-35)、後にイスラエルの北端に移住する(士師記18:1)。南北分裂の時には、北部族がエルサレム神殿に出向かなくていいように、自分勝手に置いた二つの金の子牛のうちの一つは、この北端ダンにあった(I列王記12:29)。ページを激しくめくって聖書の最後、黙示録に飛ぶと、神のしもべとして「イスラエルの子のあらゆる部族の者が印を押されていた」とあるにもかかわらず、その14万4千人のユダヤ人の部族の中にはダンの名前がない(黙示録7:3-8)。関係あるのかないのかわからないけれど、どいいうことなんだろう。何か深い意味があるのかな? キリストとメシア Christ(キリスト)というのはギリシャ語のChristos(クリストス)からできた英語で、意味はanointed […]
Read more福音って何なんだろう?
イエスのほんとうのヘブル語の名前、イエシュアは救いを意味することを先日のブログで考えてみた。この「救い」という言葉、それから「福音」ということば、クリスチャンにはなじみの深いことばだけど、聖書を読むようになって12年たった今、この基本的なことばが実はよくわかっていなかったような気がしている。 「私の罪のために死んでくださり復活したキリストを信じれば、救われて永遠のいのちを得て天国に行ける」というのが福音だとするなら、キリストがまだ十字架にかかっていない公生涯のはじめのうちで、キリスト自身が「福音を信じなさい」といっているその「福音」とはいったいなんなのかも疑問だった。 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。 「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」 マルコの福音書1;14-15 ユダヤ人として育ち、小さいころから神殿やシナゴーグでみことばを学び、公生涯がはじまってからも安息日ごとにシナゴーグで教え、自分は律法を破棄するためではなく成就するために来た(マタイ4:17)と説き、イスラエルを救うメサイヤとして来られ、12人のユダヤ人の弟子をとったキリストを思うとき、福音は「天国へのチケット」だけではなくて、もっと大きな意味があるのではないかと思いを巡らしていた時、このメッセージに出会った。 What Is Salvation? 話者のAaron […]
Read moreほんとうの名前
イエス・キリストはヘブル語の原語では、イエシュア・ハ・メシアとなる。イエスは男性の名前で、おそらくラテン語かギリシャ語のイエズスが短くなって日本語ではイエスとなったのかと想像するけれど、もともとのイエスの名前は原語でイエシュア。 一方で、キリストは名前の一部ではなくて称号でありメシアを意味することば。ヘブル語の原語のメシアのギリシャ語訳がクリストスで、これがキリストという言葉になった。メシア=キリストは「油注がれた者(選ばれた者、任命された者、王として戴冠されたもの)」を意味する。 「ハ」は英語の「the」にあたるので、イエシュア・ハ・メシアは、Yeshua the Messiahというような感じになる。メシアニック・ジュー(ユダヤ人でキリストを信じる人たち)は、イエス・キリストとは言わず、原語でイエシュア・ハ・メシアというけれど、結局どちらも同じことを意味している。 私もイエスと呼ばずイエシュアというほうがなんだかしっくりくるようになった。ユダヤ文化で名前には深い深い意味がある。名前には、その人の使命や神から受けるものがこめられている。そういう意味で日本人がこどもの名前や意味にこだわるのとちょっと似ているような気がする。 キリストというとクリスチャンの世界であり、新約聖書にしか出てこないイメージがあるけれど、実はイエシュアということばは聖書の最初の書、創世記に登場している。 主よ、私はあなたの救いを待ち望む。 創世記49:18 この「救い」は原語でイエシュア。キリストは救いであり、創世の初めからすでに意図されていた。 […]
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