真実と信仰とアーメン

ヘブル語の「エメット」という言葉がある。「真実、真理、まこと」などと訳される。 この言葉が使われている聖書箇所には以下があり、下線が「エメット」。 それで今、あなたがたが私の主人に恵みとまことを施してくださるのならなら、私にそう言ってください。(創世記24:49) その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。(I列王17:24) あなたの真理に私を導き 教えてください。(詩編25:5) 最初の聖句に出て来る「恵みとまこと」は、ともすると新約的な響きがあるけれど、実は旧約聖書に18回登場する。「恵み」は「ヘセッド」というヘブル語で、神の「やさしさ、愛情深さ、あわれみ深さ」のこと。一方、「まこと」は神のさばきの正しさ、義からたがうことができない神のご性質、固く揺らがないもの、永遠に変わらないものをイメージする。 「エメット」とは、神が神であり、他の何ものも神ではありえない、正義なる唯一の神であることの本質のような気がする。 この「エメット」は名詞だけれど、この名詞の語根(単語の基本的な意味を持つ部分であり、ヘブル語では通常 3つの子音 から成ることが多い)は、下の「アーマン」という動詞。「支持する、確認する、忠実である、信じる」などの意味。 […]

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「シナゴーグ」は教会か・・・

『「エクレシア」は教会か・・・』という記事を書いたあとで、「シナゴーグ」も教会だったということを知った・・・というか、新約聖書の中で、「シナゴギー」というギリシア語が、教会のことを指すように訳されている箇所があるのを発見した。 『「エクレシア」は教会か・・・』の中で取り上げているように、「エクレシア」というギリシア語は、新約聖書の中では「教会」と訳されることが多いものの、その他にも「荒野(イスラエル)の集会(使徒7:38)」とか「異教の民たちの集まり(使徒19:40)」にも使われている。その上、「エクレシア」という言葉は、旧約聖書(70人訳)にもたくさん出て来て、イスラエルの会衆や集会のことを指している。「エクレシア」は、必ずしもキリスト教会のための特別な言葉ではない。 シナゴーグになったり教会になったり そこで今度は「シナゴギー」という言葉である。こちらは、新約聖書では57回登場し、ほとんどが「会堂(つまり、シナゴーグ)」と訳されている。キリストが地上におられた間は、安息日ごとにシナゴーグで福音を説かれた。復活・昇天の後は、使徒たちが安息日ごとにシナゴーグで福音を説いた。 「会堂(シナゴーグ)」と訳されていない箇所のひとつはこちら: 私の兄弟たち。あなたがたは、私たちの主、栄光のイエス・キリストへの信仰を持っていながら、人をえこひいきすることがあってはなりません。 あなたがたの集会に、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来て、また、みすぼらしい身なりの貧しい人も入って来たとします。(ヤコブ1:1-2) 「集会」と訳されている言葉は原語では「シナゴギー」。でもここでは、「会堂(シナゴーグ)」ではなく、「集会」と訳されている。福音書にあるようにイェシュアはシナゴーグで福音を説かれ、使徒の働きにあるように使徒たちはシナゴーグで福音を説いたが、多くのユダヤ人は立ち返らなかった。そこでその後は、福音が異邦人に渡り教会ができた。ヤコブ書はキリスト教会が前提となっているから、ここで「シナゴーグ」が登場するのは都合が悪い。「集会」にしておこう・・・とこんな流れかな。 ユダヤ教の一派 「シナゴギー」という言葉も、「エクレシア」同様、もともとは「会衆」、「集会」を意味した。 […]

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携挙? ― 取られたい? それとも、残されたい?

よく携挙の場面として引用される下の聖句。メシア・イェシュアの再臨に希望を置くもののための聖句。 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(Iテサロニケ4:16-17) 携挙がいつ起こるかについては、患難期前、患難期中、患難期後などいろいろな説があるけど、まあ、今回はその話はちょっと脇に置いておいて、よく携挙とセットで語られる以下の聖句について考えてみたい。 あなたがたに言いますが、その夜、同じ寝床で人が二人寝ていると、一人は取られ、もう一人は残されます。  同じところで臼をひいている女が二人いると、一人は取られ、もう一人は残されます。(ルカ17:34-35) よく聞く説教は、取られる人は目を覚ましていたよいクリスチャンで携挙される人、残される人は目を覚ましていなかった(あるいは、本当に信じていなかった)クリスチャンで置き去りにされる人というもの。 だけど、ちょっと違うんじゃないかなと思う・・・。 残されて赦される? というのは、「残されます」という単語のギリシア語原語にこんな意味があることを発見したから。そのギリシア語は「アフィエミー」という動詞で、大まかにsend away […]

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「エクレシア」は教会か・・・

新約聖書で「教会」と訳されているのが、この「エクレシア」。初めて聖書にこの言葉がでてくるのは、キリストが使徒ペテロに語った、下の箇所。 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。(マタイ16:18) 「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と聞いたイエスに対し、ペテロが「あなたは生ける神の子キリストです」と告白した後に、キリストが口にする言葉である。ペテロは、イエスが、今も生きて働いておられるイスラエルの神の、その子として来られたメシアだ」と告白した。この真理を明らかにしたのは、天におられる父だとイエスがおっしゃったあとで、「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てる」と続く。 ペテロは確かに初代教会の指導的使徒のひとりとなり、コルネリウスが異邦人として初めて聖霊を受けるのを見る証人ともなるので、ここで「教会を建てる」という表現が出てくるのは、クリスチャン的に読めばしっくりくる。 だけど、ちょっと見方を変えて読んでみると、ちょっと不思議に思うところがある。イエスは「キリスト教」という新しい宗教を始めるために、この世に来られたのではない。旧約聖書で預言されているイスラエルのメシアとして、この世に来られた。キリストご自身が、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません」と言っておられるように、後々福音がユダヤ、サマリア、地の果てまで広がりはじめる使徒2章以前の時点では、フォーカスはイスラエルの民の救いにあるはずと思う。そうするとなぜここで、すでに「教会」なのだろう。「エクレシア」とは、キリスト教特有のものなのか、それとももう少し違う意味もあるのだろうか? そこで、この「エクレシア」をBlue Letter Bibleで調べてみた。 これを見ると「エクレシア」とは、もともとは「家々から呼び出されて公の場に集まった人々の集まり、集会」というような意味らしい。 4つ具体例がある: […]

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イエス・キリストとイェシュア・ハメシア

日曜に礼拝している教会では、我らの主のことをイエス・キリスト(Jesus Christ)と呼ぶけれど、土曜日に礼拝しているメシアニック・シナゴーグでは、主のことをイェシュア・ハメシア(Yeshua Hamashiach)と呼ぶ。私はどこで礼拝するかによって、またどこで聖書を学ぶかによって、主の呼び名を変える。 もう慣れたのでそれほど気にならなくなったけれど、でもなぜこうなんだろうと思ったりする。 イエスとイェシュア Jesus(イエス)は、ギリシャ語のIesous(イエスース)が音訳された英語の名前。そもそもIesous(イエスース)はユダヤ人の名前だったわけで、そのオリジナルはヘブル語であって、Yeshua/イェシュアである。Iesous(イエスース)はただの音としての名前だけれど、Yeshua(イェシュア)はヘブル語としての意味があって、それは「救い」。この言葉が聖書で最初に出て来るのは創世記49:18。ヤコブ(イスラエル)が死を前に、12人の息子たちを祝福するところである。「救い主イェシュア」がすでに、ここに登場していることに感動する。 主よ、私はあなたの救い(イェシュア)を待ち望む。(創世記49:18) 新改訳の2017年版では、この49:18はダンへの祝福とガドへの祝福のちょうど間に、一節だけ離れて書かれているが、ヘブル語原文ではダンへの祝福の方ににくっついて書かれている。その前の17節のダンへの申し送りは決してポジティブなものではなく、ダンは約束の地に入っても割り当ての地(エルサレムの西)を獲得することができず(ヨシュア19:40-48、士師記1:34-35)、後にイスラエルの北端に移住する(士師記18:1)。南北分裂の時には、北部族がエルサレム神殿に出向かなくていいように、自分勝手に置いた二つの金の子牛のうちの一つは、この北端ダンにあった(I列王記12:29)。ページを激しくめくって聖書の最後、黙示録に飛ぶと、神のしもべとして「イスラエルの子のあらゆる部族の者が印を押されていた」とあるにもかかわらず、その14万4千人のユダヤ人の部族の中にはダンの名前がない(黙示録7:3-8)。関係あるのかないのかわからないけれど、どいいうことなんだろう。何か深い意味があるのかな? キリストとメシア Christ(キリスト)というのはギリシャ語のChristos(クリストス)からできた英語で、意味はanointed […]

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