七週の祭りでエルサレムへ(2)

6月4日は七週の祭り(Shavuot、ペンタコスト)の一日目であり、かつ土曜日の安息日でもあった。朝10時にNetivyahというメシアニック(キリストを信じる)シナゴーグで安息日礼拝をし、午後6時半からは七週の祭りの礼拝に参加した。

礼拝はヘブル語だけど、英語の同時通訳あり。イスラエルで生まれた人、全世界からAlliah(アリア―、ユダヤ人としてイスラエルに帰還すること)してきた人、エルサレムを短期間訪れている人など世界中の人がいる。

同じShevetでボランティアしているマルガリータにはエルサレムに住む娘さんがいてここでいつも礼拝しているそうで、シナゴーグでの食事を一緒にさせてもらった。

朝の安息日礼拝では、世代から世代へと神のみことばを引き継いでいくことと神に与えられたものの中から初穂をささげることの大切さが話された。夕方の七週の祭り礼拝では、ユダヤ教のしきたりに習ってルツ記を皆で読んだ。なぜ七週の祭りでルツ記を読むのか・・・。こういうユダヤの習慣の中に、キリスト教にとっての大きな意味を見出すことが多いように思う。いろいろ思いをはせるとき、ユダヤ人も異邦人も全世界をみもとに引き寄せる壮大な神の計画を思う。ナオミはモアブからベツレヘムに帰ってきたものの、子孫を残す希望もなくもはや神の愛を全身で感じることのできないイスラエル、ルツはナオミに自分の国に帰れと言われても、「イスラエルの民が自分の神、イスラエルの神が自分の神(ルツ1:16)」だという異邦人。神はこの異邦人(ルツ)を通して、息絶え絶えになっているイスラエル(ナオミ)を神の民として回復させ、異邦人(ナオミ)をイスラエル(ボアズ)に接ぎ木し、そこからダビデを生み、そしてさらにはメシアなるキリストを生んだ。キリスト教会はこうして生まれたのだ。異邦人ルツが穂を摘むことができ、ユダヤ人ナオミにも食べさせることができたのは、レビ19章9節の「自分の土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで借り尽くしてはならない。収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない」という律法がユダヤ人に与えられていたからでもある。神は全世界を救う計画(創世記12:3)を最初から最後まで立てておられ、着実に計画を進めておられることを思う。イスラエルが特にえらいわけでも、異邦人が特にすぐれているわけでもないのだろう。周り回って神はすべての人を救おうとされているのじゃないかな。私たちクリスチャン、異邦人で接ぎ木された者に課せられている役割を考えないではいられない。

有るものを無い者とするために、この世のとるに足らない者や見下されている者、すなわち無に等しいものを神は選ばれたのです。

肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。

Iコリント1:28,29

七週の祭りが、イスラエルの民がモーセを通して神のことばを受け取った日であり、イエス・キリストの従者がキリストの昇天のあと聖霊を受け取った日であることは、大変に深い意味があるのだろうと思う。

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