イスラエルの民が初めて約束の地に入った場所ジェリコも、キリストが生まれたベツレヘムも、キリストがヨハネからバプテスマを受けたヨルダン川も、マリヤとマルタとラザロが住んでいてキリストが何度も足を運んだべタニアも、今はすべてイスラエルではなくてパレスチナにある。こういう書き方をすると本来はイスラエルであるはずなのに、残念なことにパレスチナ領になってしまっている・・と聞こえるけど(ユダヤ人はそう思っている)、パレスチナの人から見ればイスラエルが勝手に入ってきたと思っている。

実際、神がアブラハムに命じ、モーセとヨシュアが率いたイスラエルの民が入った土地は本来はイスラエルのものになるはずだった。聖書によればそれがそもそもの神の計画であった。

「さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。

ヨシュア記1:1-4

だけれど聖書では、この後、イスラエルの民が諸国の神(偶像)を礼拝し、約束の土地を獲得しきれないどころか、内輪もめの結果南北分裂、神から遠く離れたため、北イスラエルはアッシリアに捕囚、南ユダ王国はバビロンに捕囚、ソロモン王の建てた第一神殿は崩壊し、民族はあちこちにばらばらになった(ディアスポラ)。いったん、ペルシャのクロス王のもと、イスラエルはバビロンからエルサレムへの帰還がゆるされ第二神殿が建つも、その後もイスラエルは神に帰り切ることがなかった。それからも混沌とした時代が続き、ギリシャによる統治を経て、ローマの属国となりさがっていたイスラエルにメシアとして現れたのがキリスト。神から離れていたイスラエルに、神自らが近づいた。それがひとり子としてこの世に送られたキリスト。「時は満ち、神の国近づいた悔い改めて福音を信じなさい(マルコ1・15)」とキリストはイスラエルに説いた。しかし一部のユダヤ人を除いては、イスラエルが神に帰ることはなかった(どころかキリストを十字架につけた)。これによりAD70年にはローマによって第二神殿も崩壊し、イスラエルはさらにディアスポラで世界中に離散しイスラエルの国は消滅した。

その消滅したイスラエルという国が、1948年に奇跡的に復活し再建国された。イスラエルは、神による選びの民であり、旧約聖書でもまた新約聖書の最後にある黙示録(唯一聖書でこれから起こることが書いてある書)でも重要な役割を果たす民。なので、聖書を信じるクリスチャンの多くは、イスラエルのこの土地への帰還、再建国、領土の拡大は喜ぶべきことととらえる向きがあるけれど、今までずっとここに住んでいたパレスチナの人々からすると、いきなりやってきて「神に与えられているから自分の土地だ」と宣言し、「あなたたちは出ていきなさい」といわれて反発しないわけがない。

パレスチナ人クリスチャンのダニーが、パレスチナの歴史や今の生活をいろいろと教えてくれた。実際、イスラエルから自分のずっと住んでいた家から追い出された人々、不当にも暴力を受けた人々、イスラエルに占領されたことで長らく住んでいた場所を離れ難民となった人々のことを聞いた。パレスチナの人側からの話を聞けば、イスラエルのしていることはひどい仕打ちのように聞こえる。たとえば、チェックポイントというのがパレスチナの人の生活を大変に困難にしている。チェックポイントは、パレスチナとイスラエルの間にあるだけでなく(パレスチナの人はイスラエルに簡単に入れないし、イスラエルの人はパレスチナに簡単に入れない。たとえば旅行者ならエルサレムからベツレヘムへ行くのは簡単だが、イスラエル国籍の人はベツレヘムには入れない。反対も同様)、パレスチナの中にもイスラエルの統治の度合いによってエリアA、B、Cという段階があり、すべてパレスチナ(West Bank)にあるエリアであるにも関わらず、異なるエリアの間にはイスラエルによるチェックポイントがある。これがパレスチナの人々が自由に移動することの多大な制限になっている。たとえば妊娠している女性が、産気づいて出産のため他エリアの病院に行こうとしても、チェックポイント通過する許可がすぐにおりず、しかたなくチェックポイントで出産する女性が数多くいるそう。なんという不便。

また、パレスチナはイスラエルから水の供給を得ているが、水はだいたい3週間に一度パイプが開かれ給水されるそうで、それが実際いつなのかは起こるまでわからないという。給水を受けるときにできる限りをビルの屋上にある給水タンクにため、それを次回の給水時まで大事に使うそうだ。実際、House of Peaceに2泊している間に、夜、歯を磨いているときに急に水の出が悪くなり、どうしたものかと思っていたら、ためていた水を全部使い果たしてしまったという。緊急措置で井戸水に切り替えられた。

どのピルにもこのような給水タンクが屋上にならんでいる。3週間に一度程度のイスラエルからの給水が来るときに、このタンクにできる限りをためておく。

パレスチナの各地には、下ようなイスラエルの入植地(パレスチナ領にイスラエルがやって来て入植地を建てることが、国際法違反かどうかで意見が分かれている)がある。パレスチナの人にしてみれば、パレスチナ領の丘の上にイスラエルが勝手に都市開発をはじめ、比較的安い価格で住宅を売り出し、それにひかれてユダヤ人が引っ越してくるのは身勝手以外の何物でもない。入植するイスラエル人は、イスラエル人しか通れない特別な道路を通ってイスラエル側にコミュートする。パレスチナの人々はこのようなきれいに舗装された特別道路は通れない。周りのパレスチナには給水が限られているのに、これらの入植地には水は毎日配給されているという。

パレスチナ人ダニーは、「自分たちが主張しているのは、単に基本的人権に過ぎない」という。これだけ聞くと、パレスチナの人は不当に扱われているように感じる。イスラエルにはイスラエルの言い分が、パレスチナにはパレスチナの言い分があるのだと思うけど、完全に中立で公平な見方をすることは何と難しいことかと思う。キリストを信じる者としてどういう立場をとるのか、考えていくことが必要だと思った。