今日はLilyと一緒にSheba Hospitalに行き、13時間を過ごしました。クルディスタンから来たBrwaという赤ちゃんの手術があり8時間に及んだうえ、術後問題が起きその後も対処が必要で、長い一日に。Brwaのお母さんと私で手術室の前で待っている間に、同じクルディスタンから来ているもう一人の赤ちゃんが、ICUで1か月格闘したあとで息を引きとりました。生と死が表裏一体の重い一日。
大きなベットに小さな体。心臓のところが縦に切られていて、頭にも体にもたくさんのチューブがついていて、目を半分あけて寝ているBrwa。私も母親なので、こんな姿で戦っている小さな我が子を見るお母さんの気持ちが痛いほどわかる。私はクルド語がわからないので、彼女を言葉でなぐさめることができない。こんな状況ならふつう父親も一緒にいるのだろうが、一人分の付き添いしか財務的にサポートがなされないため、母親たちは一人で言葉のわからない外国にきてこどもに付き添わなければならない。病院ではただただ待っていなければならないことが多い。長い手術が終わるまで待ち、ドクターの報告を待ち、やっと我が子に会えるのを待ち、そのあとまた問題が起きてCTスキャンを待ち、結果が出るのを待ち・・・。何もできないけれどとにかく一緒にいて横で祈る。彼女が床につっぷしてアラーに祈った時は、私も床につっぷして神に祈った。彼女が泣きながらアラーの名を呼び求めた時は、私も彼女の肩を抱きながら心の中で神の名を呼び求めた。ICUではキッパをかぶったユダヤ人のドクターがBrwaを助けるべく懸命に働いている。それを見ながら、ふたりで祈った。
アシュドテのShebetの家に戻った時にはすでに夜の10時過ぎ。ドアを開けたら、リビングでAmilieが待っていてくれ、近寄ってハグしてくれた。「長い一日だったね。疲れたでしょう。」18歳のAmilieにハグされながら思った。神は人をなぐさめるためにあえて人を使われる。主のみ名はほむべきかな。